赤い水中にいるようだった。
辺りが暗くなってくると,境内は提灯の光で満ちてくる。
他に明かりは一切,無い。
見えるのは真向かいの担ぎ手の顔,そして神輿。
祭りの最後,神輿は浜を巡り,神社へと帰って来た。
御霊が返されるその前に,神輿は境内で揉み込まれる。
担ぎ手の体力が尽きるまで,世話役の圧力が上回るまで。
神輿は止まることは無い。
一切の余裕は無く,ただ己の命を捧げるのみ。
神輿に命と思いが注がれていく。
生きて,生きて,生きるのだ。
誰もが叫び,文字通り力を振り絞る。
神輿は下がって来た。
まだまだ。
傾けられた神輿は,地面から数センチのところで浮いている。
ゆっくりと動いている。
穏やかな波を表しているのだが,今神輿は不気味に見える。
ひとりひとりの表情は,真剣そのものだ。
朝からずっと戦って来た仲間。
体は疲れて来ている。
腕にたまった乳酸を時に振り払う。
終わらせるには早すぎる。
神輿は一年に一度しか上がらないのだ。
僕の中で,目の前にいる仲間の中で,灯がともっているのがわかる。
あたりの提灯には,浜のたくさんの名前が書いてある。
今,僕らは生きている。
伝統は繋がっていく。神輿は今年も上がった。
この神社,この場所で,一年に一度だが数百年と同じように神輿が揉まれて来たのだ。
見ているのは,提灯に書いてある名前の人だけでは無いはずだ。
この神社の境内には、この神輿には、数多の思いが詰まっている。
たくさんの情念が渦巻いていた。
みんなその思いに応えようと必死で叫び,力を込めている。
神輿は何度も収められそうになる。
世話役は神輿を下ろそうとする。
僕たちは必死に争う。
神輿は台に収まらず,境内を動く。
神輿を動かしているのは,間違いなく浜の意思なのだ。
まだ終わらせないという気持ちが強いか,もう終わらせようという気持ちが強いか。
神輿はやがて、鎮まった。
「神様」が表現されているのだとしたら、神輿は最後の最後まで、荒ぶっていた。
荒ぶる魂は、氏子である担ぎ手の複数の思いが一つとなり、神輿に伝わる。
そして鎮まるように働きかけるのもまた、氏子である。
祭りが,生きている。
今年も大須の祭りが終わった。
もう終わってしまったという寂しさもあり,やっと終わったという安堵もある。
しかし何より,また今年も約束を守ることができたことが嬉しい。
「来年もまた担ごう」
僕はその言葉を裏切らず,きちんと実行出来た。
その約束は,浜の人たちだけでなく神輿を、祭を守ってきた先人とのものでもある。
神輿がまた今年も八幡神社から出て,還ってきた。
そうやって伝統がまた一つ紡がれたこと。
そしてそこに携われたことを幸せに思い,僕らは直会へ向かった。
大須の直会(youtube)