「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

浜の咆哮③おのぼり(完結)~宮城県石巻市雄勝町大須八幡神社例大祭〜

赤い水中にいるようだった。

辺りが暗くなってくると,境内は提灯の光で満ちてくる。

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夜。境内は提灯の灯で満ちている。

他に明かりは一切,無い。

見えるのは真向かいの担ぎ手の顔,そして神輿。

祭りの最後,神輿は浜を巡り,神社へと帰って来た。

御霊が返されるその前に,神輿は境内で揉み込まれる。

担ぎ手の体力が尽きるまで,世話役の圧力が上回るまで。

神輿は止まることは無い。

一切の余裕は無く,ただ己の命を捧げるのみ。

神輿に命と思いが注がれていく。

生きて,生きて,生きるのだ。

誰もが叫び,文字通り力を振り絞る。

神輿は下がって来た。

まだまだ。

傾けられた神輿は,地面から数センチのところで浮いている。

ゆっくりと動いている。

穏やかな波を表しているのだが,今神輿は不気味に見える。

ひとりひとりの表情は,真剣そのものだ。

朝からずっと戦って来た仲間。

体は疲れて来ている。

腕にたまった乳酸を時に振り払う。

終わらせるには早すぎる。

神輿は一年に一度しか上がらないのだ。

僕の中で,目の前にいる仲間の中で,灯がともっているのがわかる。

あたりの提灯には,浜のたくさんの名前が書いてある。

今,僕らは生きている。

伝統は繋がっていく。神輿は今年も上がった。

この神社,この場所で,一年に一度だが数百年と同じように神輿が揉まれて来たのだ。

見ているのは,提灯に書いてある名前の人だけでは無いはずだ。

この神社の境内には、この神輿には、数多の思いが詰まっている。

たくさんの情念が渦巻いていた。

みんなその思いに応えようと必死で叫び,力を込めている。

神輿は何度も収められそうになる。

世話役は神輿を下ろそうとする。

僕たちは必死に争う。

神輿は台に収まらず,境内を動く。

神輿を動かしているのは,間違いなく浜の意思なのだ。

まだ終わらせないという気持ちが強いか,もう終わらせようという気持ちが強いか。

神輿はやがて、鎮まった。

「神様」が表現されているのだとしたら、神輿は最後の最後まで、荒ぶっていた。

荒ぶる魂は、氏子である担ぎ手の複数の思いが一つとなり、神輿に伝わる。

そして鎮まるように働きかけるのもまた、氏子である。

祭りが,生きている。

今年も大須の祭りが終わった。

もう終わってしまったという寂しさもあり,やっと終わったという安堵もある。

しかし何より,また今年も約束を守ることができたことが嬉しい。

「来年もまた担ごう」

僕はその言葉を裏切らず,きちんと実行出来た。

その約束は,浜の人たちだけでなく神輿を、祭を守ってきた先人とのものでもある。

神輿がまた今年も八幡神社から出て,還ってきた。

そうやって伝統がまた一つ紡がれたこと。

そしてそこに携われたことを幸せに思い,僕らは直会へ向かった。

 

 大須八幡神社例大祭本編(youtube)

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大須の直会(youtube)

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