体温が奪われ,感覚が無くなってくる。
足先に感じるのはヘドロのようなぬめり。時に固い岩につまずく。
まだ冷たい東北の海を,担ぎ手は神輿を担いでいく。
神輿を海に浸けてはいけない。
何度も何度も神輿は海の中を練る。
奪われていく体温を取り戻すために,咆哮する。
一年に一度,今日は大須の浜の祭りだ。
僕は記憶を遡って雄勝に向かっていた。
宮城県石巻市雄勝町,大須。
石巻河北インターを下りて,北上川沿いを走り,雄勝半島へ向かう。
晴れていると,北上川沿いの茅が揺れ,風の模様を描いている。
時々,茅葺き屋根に使う茅を収穫している。
雄勝半島へ差し掛かり,峠を超えると,雄勝町。
ここには,街があった。
今は、無い。
2011年東日本大震災で流失した街からは全てが失われた。
ダンプがひっきりなしに走っていく。
土ぼこりにまみれ,海は大きな障壁に囲まれていっている。
防潮堤の建設が進み,雄勝町から海が無くなろうとしている。
わずかな隙間が埋まり,工事が完了すると,雄勝地区は壁に囲まれる。
そんな風景を横目に、海岸線を走っていく。
工事中の道路,山道。
時々樹々の隙間から見える海は,美しい。
水面にはムーンリバーが輝き,波は静かだ。
運転しながら一瞬見えた海に沈んでいく月は満月に見えた。
「おかえり」
雄勝の人はいつもそういって迎えてくれる。
祭りの前日宿泊する予定の公民館に到着すると,いつも白装束を来て世話役を行なっている方が迎えてくれた。
明日は一年に一度のお祭だ。
神輿が上がり,神楽が奉納される。
数百年続いて来た伝統に,さらに1ページが加わる。
僕らが到着すると,浜の人達が集まってきた。
初めてここへ来た日。
少しも話すことの出来なかった人たちも今では酒を酌み交わす仲間だ。
祭がここを故郷のようにしてくれた。
僕はこの人たちに会いに,この人たちとまた祭をしに,戻って来た。
大笑いしながら夜は更けていく。
明日は大須八幡神社のお祭だ。
朝。
当日は曇りだったが,祭りの日を思うといつも真っ青な晴れの日を思い浮かべる。
真っ青に晴れた日,海はコバルトに輝いている。
大須の人達が守って来た透き通った海と祭りの日がまた始まる。
その日浜は明るい空気に包まれる。
輝いているのは太陽と海だけでなく,浜の人たちだ。
神社には華やかな衣装と白装束を来た人達が集まっていた。
お神輿はもう神社から出され,飾りつけは始まっている。
「今年もまた,よろしく!」
一年に一度しか会わない人もいる。
だけど皆で何度も祭を超えて来た。
共に熱した闘志を忘れてはいない。
穏やかで少しまだ肌寒い朝だったが,体温が上がってくる。
昨年漆を塗り直したばかりの美しい神輿に,鮮やかな飾綱が巻かれていく。
神輿に触っている浜の人たちの顔は,活き活きしている。
一年に一度出会える顔。
神輿が作るその表情を僕はたまらなく愛していた。
「ちょーさいど よーさいど」
雄勝の神輿はこんな掛け声で担がれていく。
はじめ神輿は波を表すように動き,ゆっくりした小波からワーッという声を合図に大波を表す動きに変わる。
神輿の前棒を跳ね上げ,神輿を走らせ,やがて落ちてくる前棒を掴んで素早く神輿は回る。
その動きを繰り返し,神輿は浜を,神社を練る。
いよいよ神輿が動き出した。
一年に一度心を合わせ,神輿を動かしていく。
少しずつ記憶が蘇ってくる。
しかし記憶を呼び起こさなくても,体はその動きを記憶していた。
何百回も何時間も繰り返した動き。
太鼓のリズムが肉体を操っているようだ。
記憶よりも動きが先行している。
2回目の切り返しの際,神輿が落ちた。
前棒を受け取りきれず,棒は地面に。
まだ体が慣れていない。
神輿を持ち上げると,世話役からストップがかかった。
神輿は一度降ろされた。
どうやら,棒が折れてしまったようだ。
片方の棒が,少し強くしなっている。
心配そうに皆見守っていた。
とりあえず,やるしかない。
神輿は神社を下り,海上渡御へと向かっていく。