「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

なぜスロベニアでお神輿が上がったのか〜日スロベニア友好関係樹立30周年(2022)〜

2022年(令和4年)6月11日、スロベニア首都リュブリャナ国会前広場にて行われた「Dan Japonske(Japan Day)2022にて3年ぶり3度目となるお神輿が上がりました。

当日は快晴、最高気温33度となる暑い日でしたが担ぎ手は勇壮に声を上げ、スタート地点である広場からリュブリャナ中心地である三本橋前を往復しました。

遠く離れたスロベニアの地に伝わった祭の文化。

彼らが一生懸命になってお神輿を担いでくれた理由を探ることでお神輿の魅力の本質が見えてくるような気がします。

首都リュブリャナをゆくお神輿。

スロベニア人が感じたお神輿の魅力とは

今回の渡御は2019年(令和元年)以来3年ぶり、3回目となります。

何故遠いスロベニアでお神輿が担がれたのか。

その理由を考えてみたいと思います。

こんな感情が自分の中にあることを知らなかった

以前ベルリンでお神輿が担がれていた時(令和元年まで4回)、参加してくれたドイツ人が興味深いことを言っていました。

「僕は今日初めてお神輿を担いだけれど、本当に一生懸命に担ぐことが出来た。こんなに熱くエキサイティングな気持ちが自分の中にあるなんて知らなかったよ」

ヨーロッパには、日本のお神輿のようにそこにいる全員が同じように汗をかいて同じ気持ちで一つのことをする、という文化が極めて少ないそうです。

お神輿を含めた日本の祭のようなカタチを経験してくれたことで、彼らが初めての経験をすることが出来たのと同時に、内に秘めていた情熱が吹き出したのかもしれません。

「こんな自分に会えると思わなかった」とオーレルくん。
ベルリンから参加しに来てくれました。

文化とはその感情に出会うための方法論だった?

そのドイツ人は初めてベルリンでお神輿を上げた時からずっと参加してくれています。

実は日本にもお神輿を担ぎに来てくれたこともあるし、今回のスロベニアにも急遽参加してくれました。

彼が毎回お神輿を担ぎに来てくれる=お神輿を担がなければ出会えない自分に会いに来ている
のだとしたら。

お神輿を担ぐという文化は、担ぎ手や参加者に"お神輿を上げなければ出会えない"感情を再現するための手法と言えるのではないでしょうか。

スロベニアの人たちも神事の間は低頭してくれています。

担ぎ棒から伝わってくるノンバーバルな情報

お神輿は、担ぐ前に神主さんによってお神輿の中へ神様を呼び、担ぎ手たちが力を合わせて町を練り歩き、終わった後またお還り頂くという一連の行事です。

その担ぎ方や掛け声、衣装などは様々ですが日本国内においてはその地域ごとに守られて来ているやり方があります。

お神輿やお囃子など、お祭りの日に見られる様々な芸能は、神賑(しんしん/かむにぎわい)行事とも言われています。
祭の日、神様を賑やかにお迎えするための行事なので、お神輿においても賑やかに担がれる風習が出来たのでしょう。

注:一切揺らさず、一言も話さず担いでいくお神輿もあります。

お神輿を担ぐためのリズム、掛け声などは地域ごとに工夫され、生きた文化として少しずつ変化したりもしています。

これに合わせ、担ぎ棒を通じて担ぎ手は重さや躍動を共有し、ぴったりと息が合うと心が一つになったような感覚になります。

担ぎ棒を通じて伝わるものがあります。こころひとつに。

それはノンバーバルコミュニケーションでもあります。

だからこそ国籍を超えても共有できる感覚があり、お神輿を仲間達と担ぐことでしか感じられることが出来ないのだとしたら、彼らが一生懸命になって祖国ではない日本の文化に対して本気で取り組んでくれた理由があるような気がします。

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