地域の美味しいものを食べてふるさとの神社や祭を応援することができる「祭エンジン」がテスト公開されました。
深刻な人口減少,増加する災害,高齢化による後継者不足。
今動かなければ,数百年の伝統が消えてしまう地域も出てくるかもしれません。
「祭エンジン」は,そんな一つ一つの地域を,地域の方々と伴走し応援していく仕組みです。
祭エンジンの仕組み
住民が少なくなっているのなら,日本全体で守っていけばいい
地方に残る神社や祭は,脈々と受け継がれているものの深刻な過疎化,高齢化がどこにおいても問題になっています。
住民は確かに減っており,熱い思いで祭を支える先輩たちが,毎年少しづつ亡くなっています。
このままでは,数百年続いた伝統だとしても、終わりを迎えてしまうかもしれません。
しかし,今残っている伝統は,幾度も時代の波を乗り越えてきたはず。
ここで諦めるのではなく,次の世代に伝える方法を考えたいと思いました。
集落から人が減っているならば,日本全体で守っていけばいい。
日本全体で守れないならば,世界全体で守っていけばいい。
必ず,方法はあります。
先人が命がけで紡いできた物語を,簡単に終わらせるわけにはいきません。
祭は"ハレの日"と"ケの日"が関連しあっている
祭の当日には,様々な非日常が詰まっています。
神輿が上がったり,屋台が出たり,特別な衣装を来たり・・・。
しかしその一日は,ケの日,日常の積み重ねなのです。
集落の祭を維持するためには,祭の日だけに注目するのではなく,いかにそれに至るまでの日々の暮らしを充実するか。
それは,そこに暮らす人たちの商売が順調であったり,仲間たちとのコミュニュケーションを活発にしながら神社や祭に向けて話し合いをしたり,時に酒を酌み交わしたり,時には神社をキレイに清掃して,気持ちの良い空間を維持できるように協力しあったり。
素晴らしい"ケの日"の積み重ねは充実した"ハレの日"につながり,本当にキラキラした"ハレの日"はまた,次の日からの"ケの日"の活力になっていきます。
相互に影響し合いながら高まりあっていくらせん階段のような関係性が,集落を豊かにして来たはずです。
ケの日を応援する仕組み
今まで,祭を応援するといえば当日神輿の担ぎ手として参加したり,裏方として手を貸したりすることでした。
しかし,どれだけ一生懸命に応援しても,祭の日は1日しかありません。
残りの364日に目を向けて,ハレとケ,両方を充実しないと集落を豊かにするらせん構造は描けないのです。
陰と陽,光と影,月と太陽,男性と女性。
二つの側面が一体となって影響しあっている。
祭も,その一つだと考えています。
祭エンジンは,"ケの日"を応援する仕組みです。
地域産業を応援
祭エンジンは,神社と地域産業がタッグを組んで利用できるECサイトのプラットフォームです。
祭エンジンの事務局が祭や神社,地域の方々を取材して紹介することで,地域産品のPRのお手伝いし、地域の思いを伝えていきます。
売上の10%は地域の神社へと寄付され,地域の産業が神社を支えていくという古来からの構造を取り戻していくことを目的としています。
インターネットが普及した現在では,そこに住んでいなくても地域のファンであり続けることが出来ます。
住民だけで守っていくことが難しいならば,その地域を応援し続けるサポーターとして一緒に文化を守って行くことが重要です。
応援してくださった方々は,オンライン上でその地域と繋がっていき(LINEグループを想定),地域の方々が日々情報発信して行くことで祭の日だけでなく日常を知ることが出来るようになります。
これから高齢化が進んでいけば,集落のみで様々な行事を維持して行くことが難しくなって行くでしょう。
しかしそこに住んでいなくても,共に支えてくれる仲間が50人,100人といれば祭や神社を未来に届ける希望となって行くはずです。
祭エンジンが描く未来
現在,日本全体においても地域における魅力が見直され,地域活性に力が注がれています。
祭は各地域で守られて来た地域の宝物であり,集落の方々の記憶に今でも鮮明に残っている財産です。
しかし,現在多くの地域で「祭の継続が難しい」「もう続けることは出来なくなってしまうのではないか」などの声が聞こえて来ます。
実際に,祭を縮小し神輿が上がらなくなった地域や,伝統的な行事を中止にしてしまっている場所もあります。
このまま少しづつ時間だけが過ぎていってしまえば,祭はおろか神社も無くなってしまうかもしれない。
日本人のアイデンティティの根幹に関わることです。
「紅葉が美しいのは,また芽吹くことを知っているから」
秋,人は葉が色付いて行く様子を見ると,美しいと感じます。
しかしそれは,全ての葉が落ちて枯木のようになってもまた春になれば芽吹くと知っているからだと思います。
紅葉が命の終わりを示していれば,きっと同じように感じることは無いでしょう。
たとえ枯木のようになっても,木を切らなければ必ず芽が出てもう一度葉が繁り,青々とした命の輝きが見えるはずです。
落葉してしまうことはネガティブな事ではなく,命のサイクルの中で必要なプロセスなのです。
神社も同じです。
現在,困難な状況にあってもまた来年,お祭が出来るのだと信じることが出来れば決して神社を無くそうとしたりしないでしょう。
数百年の物語に終わりを告げることになってしまうからです。
伝統の継続に必要なのは,希望です。
真っ暗闇の中でも向こうに光が見えるならばそこへ向かって歩んで行くことが出来ます。
例え困難な道のりに思えても,そこへ向かい一歩ずつ歩んでいけば,必ず道は開けるはずです。
時代が急速に変化している現在,祭を未来に届けることが出来るかどうかは,今を生きる我々の選択にかかっています。