落下する無数の火の粉を目で追う。
初めは目が落下速度に追いつかず,無数の真っ赤な高熱の鉄粉が視界を覆っている。
しかし刹那の先,ふうわりとした赤い雪の粉が舞っているような錯覚に陥る。
暗闇の中,僕は見とれてしまう。
あまりにも儚い情景は,穏やかな風の日の桜吹雪にも似ている。
爆竹の煙の匂いを一瞬の間忘れてしまった。
手力雄神社の境内にいる。
町内を再出発し,輿をここまで運んで来た。
耳には真綿が詰められ,半纏の下はさらしに股引。
行灯に火がつけられる様子を僕は見ていた。
火に照らされて,担ぎ手は数百人いる。
観客も外からその様子を見守っている。
空に掲げられた数十個の行灯が静かに点火していく様子は,水面に揺らめく縁日のあかりのようだ。
耳に詰められた真綿のせいか,僕は静寂を感じていた気がする。
いよいよ,滝花火だ。
滝花火は,20メートルを超える真っ直ぐ天に伸びた柱の上に着けられた火薬に火がつけられ,その下で輿を担ぐというものだ。
輿にも花火がついていて,担ぎ手には無数の火の粉が降りかかる。
ロマンチックな郷愁は一つもない,まさに荒々しい狂気の時がつくられる。
一つの町会ごとに作られた輿が,一つづつ滝の中に入っていく。
いよいよ,点火された。
何度見ても,その様子は凄まじい。
先程までの火の量ではない。
地獄の業火とはこのことかと思えるほどの火が,なんと天から降ってくる。
一瞬,戦慄。
しかしその後自分の表情が変化するのがわかる。
湧いてくる血は,僕を駆り立てる祭への原動力の正体なのだろう。
拳を一つ握ってみた。
いよいよ,我々の町会の順番だ。僕らが担いでいるのは,細畑。
初めて参加するメンバーも,初めての火の滝を見て表情がこわばっているが,やるしかない。
「行くぜ」
僕は彼らの背中をポンと叩いた。
半纏を脱ぎ,肌を露出する。
準備は整った。
輿に手がかかる。
「セーノ」
輿を肩にのせ,というよりもしがみつきながら空から降る高熱の滝へ飛び込んで行く。
身体に無数の何かが刺さって行くようだ。
一瞬でたくさんの火傷が出来る。
痛さは,叫ぶことで脳が感じないようにする。
何度も突っ込む,熱く,痛いことはわかっている。
そんな時人は立ち向かうしかないのか。
火が尽きるまで,輿につく全員が叫び狂っていた。
けたたましい半鐘の音も,火の滝の強い光も,無数の降ってくる痛みも,僕から邪念を消していた。
ただ叫び,立ち向かう。
実はその時,どこまでも純粋だったのかもしれない。
前を向いていた。
輿を下ろすと,何か考えようと思う前に目の前の仲間と抱き合っていた。
皆戦友だ。
肌の露出した部分は細かい火傷が刻まれている。
もう痛くはない。
腹に巻いたさらしが燃えていた。
仲間が気づいて背中の火を消してくれた。
滝花火が、終わった。
手力の火祭。
すさまじい祭だ。
何故こんな文化が育ち、残っているのだろう。
もしかしたら人は、純粋になりたいのかもしれない。
音、光、火薬の匂い、息苦しさ、痛み。
様々な強度の刺激を一度に受ける。
しかし神輿の特殊性は、その強烈な体験を共有出来るところにある。
ひとりで滝花火の下に向かって行くことは、もしかしたら出来ないかもしれない。
恐怖に打ち克つことが出来ないかもしれない。
しかし輿を担ぎながらそこへ立ち向かい、ついに達成した時、今年も無事、みんなの力で伝統を守れた時、全てのネガティブな刺激は晴れやかになる。
残ったのは、連帯だ。
その体験を共有出来た仲間は、特別となる。
祭は確かに、面白い。
それは普通では味わえない刺激があるからだ。
しかしその正体は、派手で奇抜なことをやることよりも、一年に一度、それぞれのメンバーが集まってまた伝統という名の恐怖に打ち克とうとし、ついに打ち克った時の連帯から来るものなのだろう。
毎年、気づくことがある。
輿を下ろした後、仲間の顔を見ると、涼やかで、さっぱりしている。
先ほどまでの、激しく、険しい顔とは違う。
猛々しい咆哮も,鋭い眼差しもない。
しかし目にはまだ花火が映っている。
さっきまでの火の玉のような昂ぶった感情は、もう目の前の滝花火の落下を追っていた。