純白のさらしは,清浄を表すという。
男たちが,集まっている。
起こし太鼓は,岐阜県飛騨市古川で行われる気多若宮神社の例大祭に合わせて行われる。
祭の前夜,街中に祭のはじまりを知らせるために太鼓を叩いて回ったのが起源だとされている行事である。
まつり会館の前にある広場には,神輿とともに巨大な起こし太鼓が並べられ,大きな御幣が置かれている。
各町内からやって来た太鼓の群れがそれを囲み,男たちは棒の上で全身を開き,祝い唄を歌う。
数千人はいるだろうか。
凄まじいエネルギーが渦巻いている,ここはすでに神前だ。
「必ず,行きます」
僕がここ古川のご縁を頂いたのは両国,亀戸天神の4年に1度の大祭でのこと。
後輩の父が町内の責任役を務めるという事で,当日の運行と神輿の組み立てを依頼され,二日間の祭に同行していた。
そこへ,古川青龍会の方々が来ていたのだ。
後輩が数年前から古川の祭に通っていた事で,両国へも来ることになったらしい。
祭独特のご縁の交換である。
その時,祭にかける熱い情熱に出会った。
共に江戸の神輿を担いだ事は,生涯の思い出となった。
飛騨古川。
長野松本インターから,峠を越えて約2時間。
峠にはまだ雪が残る。
関東は暖かな春が近づいて来ていたが,この辺りはまだのようだ。
初めての地。
空気は未だ静まり返っている。
軒先に掲げられた提灯が街を彩り,家主は祭の準備を初めていた。
小さな水路が街に流れており,透き通った水の中を鯉が泳ぐ。
生命力に満ちた翻は,僕の気を充填する。
「お久しぶりです」
町内の会館の前で,両国以来の再会をした。
最高の表情をしている。
生まれ育った町で最高の仲間たちと行われる故郷の祭の日は,他のどんな祭よりも慶びに満ち溢れている。
そこへ,新しい仲間が来る嬉しさも,僕は知っていた。
約束の日,誰もが集まる祭の日。
彼らはこの日のために生きている。
そして僕も、その日のために生きている。
出会ったその時に交換した共鳴の振動数を、僕は確かに覚えていた。
「宮田宣也です、初めて参加させていただきます、よろしくお願いします!」
僕は付け太鼓のメンバーに混ぜてもらった。
殿町、殿町、と叫びながら町を巡る。
彼らの生まれた故郷、そしてそこで生まれたからこそ、そこに在る表情を,僕は見逃さなかった。
祭を紡ぎ出す縦のライン,ずっと繋いできた伝統だから,そこには親から子へ受け継がれる物語がある。
生まれた家の前で付け太鼓の棒を高く上げ,男たちは宙で手足を広げる。
表情は誰よりも誇らしげだ。
あの頃天を仰ぎ憧れていた少年が,今男になる時なのだ。
棒は高く,一番上まで上がれなくても,仲間が背中を貸してくれる。
「俺を踏み越えて生け」
人と人との信頼と愛がそこにある。
誰もが同じようにそこへ行けるように。
いつしか日本人は平等を履き違えてきたように感じる。
誰もが同じであろうと足を引っ張るのではなく,誰もが同じであろうと自らを差し出してきたのではなかったか。
一人一人の個性を尊重し,仲間が手を差し伸べながら同じ体験をさせてくれる。
どうしても上に登れなかった男性が何度も失敗し,顔を踏まれても,それでも
「もう一回、必ず出来る」
と声を張り上げていた姿に僕は感動した。
あきらめちゃダメだ、俺らがついている。
一緒に、祭の一日をまた作ろう。
その怒号は、紛れもない愛の言葉なのだった。