息が、できない。
道の真中に撒かれる凄まじい量の爆竹,けたたましい爆発音。
そして白煙。
御輿を担ぎながら,怪物の様な白い煙の中に飛び込んで行く。
さらに御輿を振り回す。
脈拍の高鳴りと呼吸は連動し,体は酸素を要求するが煙ばかりが吸い込まれてくる。
苦しい。
しかしまた歩み始める頃にはその記憶はすり替わってしまうのだ。
御輿にはそんな力がある。
手力雄神社例大祭。
開催はいつも春の頃,桜がきれいに咲いている。
日中の穏やかさは,爆竹の煙とけたたましい轟音が鳴り響くまでは担保されている。
「今年も来てくれたんやね」
毎年御輿を担ぐ時にしか会うことがないが,何度も祭を共に乗り越えた地元の方々。
激しい祭だが,休憩の時など流れる空気は和やかだ。
皆,配られる発泡酒を片手に笑顔で談笑している。
この里の人は,皆新しいメンバーに興味津々だ。
連れて来た仲間たちを目で探すと,地元の人たちが盛んに話しかけているのがわかる。
「うちの嫁です」
なんて,子供を連れたお母さんを紹介してくれる。
今日はお祭だ。
日中,神社へと担いで行く御輿の中には,火薬が入っているという。
中を見た事がないのだが,
「爆竹を足元でやるのは今年から禁止された」
としょんぼりしていたアニキがいたので本当なのだろう。
御輿を担いでいるといたずらっぽい顔で足元に爆竹を押し当ててくる。
熱いし,爆竹が跳ねて痛いのだが,ご挨拶だ。
御輿が始まるとすぐに駆け寄ってくるのに今日は少し離れたところで火をつけている様子に,話を聞いて納得した。
いつかの少年のにやけた表情は,しばらくお預けの様だ。
手力の火祭りは,実は岐阜県の無形民俗文化財に指定されている。
日本ではそもそも,火そのものを崇拝する文化はない。
火を崇拝することで有名なのは拝火教と呼ばれるゾロアスター教で,日本での火祭はゾロアスターの影響があるのではないかと言われることもあるが定かではない。
火をつかさどる神として有名なのは愛宕神社や秋葉神社で,火伏せの神として民家に祀られていたり,また台所などに荒神さまとして祀られることもある。
囲炉裏や竃などが生活にあった頃,火と通じる場所は神聖とされていた。
[火というカオスと人 斗鬼正一 2014]
古来人が火を使い始めた頃から,火の神秘性,そして畏れがあったのだろう。
火祭りでも,花火の爆発や事故は稀な事ではない。
「いらっしゃいませ」
神社の玉垣の外には縁日の屋台がたくさん並んでいる。
両脇に店を見ながら真中を御輿が担がれていく。
そこにいる人たちや店員が皆耳を塞いでいる光景は,手力雄の火祭独特の風景である。
僕たちも耳がおかしくならない様に真綿を耳に詰めている。
爆竹の音と叩かれる半鐘の音量は普段耳にする事がないほどうるさい。
爆炎の中心で半鐘を叩きながら笑っている姿は正に狂気だ。
御輿がゆく前,神社の参道に並べれた凄まじい数の爆竹が一斉に爆発する。
体がひきつる様な連続音の中を半鐘を担いで飛び込んでいき,跪いて叩きまくるのだ。
それが合図なのか,場を清める意味なのかはわからない。
その間輿を肩に乗せ静かに後方で待っているのだが,御輿はじっとしておらず,絶えず左右に揺らめいている。
担ぎ手が高揚しているのがわかる。
目の前に獲物を置かれた獣の様に,睨む先は白煙の向こうの拝殿だ。
煙がおさまった。
前をゆく先導がちらとこちらに目線を送る。
ふと他の担ぎ手を見ると,その眼に狂気が潜んでいた。