穏やかな日だ。
辺りは田圃に囲まれて,青い祭法被を着た子供達が少し散りかけた桜の下で祭の日を慶んでいる。
母親が集まって子供達の成長した姿を写真におさめている風景は,毎年変わらないのだろう。
十数年前,同じように写真を撮られていた子が,今母親になっているのかも知れない。
キラキラした陽の光を浴びて,高く伸びた桜の花は祭の日を迎えている。
一年に一度の祭衣装の姿は,周りの大人たちにとっても慶ばしい。
気持ちのいい空気が流れている。
向こうに見える岐阜城からも,悠久の昔織田信長が戦の激しさの合間に心を鎮めていたのだろうか。
今日は手力雄の神様を迎える日だ。
「うちの火祭を知らなくて祭好きとは言えない」
と,つくばで出会った人に言われたのが最初のご縁だった。
その頃新しく出来たスターバックスのコーヒーがその日は少し苦かったのを覚えている。
「火傷だらけになるぞ」
僕はその年,初めて手力雄神社を訪れた。
最初,神輿に肩を入れることは許してもらえなかった。
つくばの印刷会社で働いていた伏見さんは,町の古い顔で口利きしてくれるとのことだったがダメだった。
あくまで,地元以外の参加は認められない。
僕は担げないのなら行くのやめようかなと少し躊躇していたのだが,実はもう一つ当てがあった。
その頃毎年通っていた春日村(なぜか僕は春日という名前に縁がある。今住んでいるところも春日三丁目)という場所で出会った人だ。
その方から紹介されたのは,別の町会の長屋さん。
僕は長屋さんを訪ねてみる事にした。
新しい祭にご縁を頂くとき,祭の前にご挨拶に行くようにしている。
当日様々なトラブルを防ぐためもあるし,全く違う里なので事前に情報を知っておきたいからだ。
「初めまして」
長屋さんはカードックナガヤという自動車整備の板金屋を営んでいた。
「よう来た」
背はそこまで大きくはないが,体はいかつく,がっちりしている。
すぐに武道をしている人だとわかった。
持っている雰囲気が違う。
オーラ、というと安っぽくなるが穏やかな態度の中に静かな厳しさがある。
隻眼の長屋さんの眼差しの前の名も知らない青年はどう写っているのか。
壁には,白い道着姿の写真が飾ってある。
長屋さんは,空手の先生だった。
自動車整備工である傍ら,空手の修行もしている。
僕も空手経験者だったので,すぐに打ち解けた。
「あんたなら、大丈夫だ」
僕は祭に参加できる事になった。
僕は長屋さんと色んな話をした。
「祭というのは不思議じゃ,あんたと出会えたんも,手力雄さんの力なんかもしれんなあ」
数十年武道を続けてきた長屋さんの思考は,広く深い。
時たま太陽のように笑う姿の奥には,いつか見たスロベニアのソチャ渓谷の水源,谷の奥に湧いている数メートルもある壺のような洞窟の吸い込まれそうな碧が見える。
手力の火祭では、一年に一度この人に会える。
今回集まったメンバーは、8人だ。
僕とコム以外のみんなは火祭は初めて。
ずっと来てみたかったという仲間が、東京から来てくれた。
畑から爆発音が響いた。
凄まじい音に驚く僕らに、一年に一度、祭で会うおじさんがいたずらっぽく僕たちに微笑んだ。
「今年も頼むよ」
昨年買った綿100パーセントの衣装には黒く焦げ跡が残っている。
体に巻くさらしを探すと、燃えてしまっているものも多い。
さらしを巻きながら,一年前の記憶を思い出していく。
普段は思い出すことのない火祭の日の感覚がふと飛び出してくる。
焦げて小さな穴だらけになった衣装を身にまとうと,焦げた匂いや爆竹の息苦しさが一瞬蘇る。
僕の脳は,火祭りに切り替わっていく。