「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「奇祭」だからじゃなく,より深く感じるところがある。石巻,雄勝のおめつき

先日,石巻雄勝町の秋葉神社のお祭りである「おめつき」へ行って来ました。

おめつきは,雄勝の名振という浜で行われる祭で,毎年1月24日に行われています。

深夜,石巻へ向かう

この祭が始まるのは朝の10時から。

僕は仲間を乗せ,前日の夜から石巻へと向かいます。

冬の東北は寒く,昨年は大雪のため中止になりました。

今年の天気予報は晴れ。

1年越しのおめつきなので,とても楽しみです。

一緒に行くのは,ベルリンの祭でも一緒に担いだ酒田くんと,ブルガリアのアレックス。

www.miyatanobuya.com

到着すると雪

名振に到着すると,「舞台」と呼ばれる担ぎ屋台(太鼓が乗っている)が用意され,浜の人たちが集まっています。

久しぶりの雄勝の祭,開催が楽しみですがなんだか怪しい空模様・・・。

毎年おめつきの日は天気が荒れます。

車を止めると段々と風が吹き,吹雪のようになって来ました。

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おめつきの舞台。太鼓が乗っています。

久しぶりの再会

名振には,お祭りの時にしか来ませんが,2年前のことを覚えてくれていました。

なんとなくまだ探り探りでしたが,一日一緒に舞台を担ぐ仲間たち。

みんなで半纏を来て,再会を喜びます。

名振のおめつき

この祭,元々は秋葉神社のお祭りなのですが,最大の特徴は途中行われる寸劇にあります。

この寸劇,大きな男根を真ん中に置いて,浜の人たちが様々な工夫を凝らし,面白おかしく劇をするのです。

毎年「思いつき」で劇を行なっていたことから,「おめつき」になったそうで,浜の人たちが演じる劇は卑猥ですが,見物の人たちは皆笑顔が溢れています。

担ぎ手には暖かいカップラーメン,おにぎり,甘酒などが振舞われます。

劇が終わると,撮影タイム。

大きな男根にまたがり,みんなで撮影。

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木製の男根

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仲間たちと撮影!

壊したっていい

おめつきが終わると,舞台をさらに運んでいきます。

昔は町の中の4箇所で寸劇が行われ,各所を回って振る舞いを頂き,夕方まで行なっていたそうですが現在は一箇所だけ。

舞台は名振の端の集落へ運ばれて,山中にある祠で神事を執り行って祭は終了となります。

途中舞台は激しく振られ,棒が外れようが破風板が取れようがお構いなし。

「壊したっていいから」

と,浜の人たちは僕らを煽り立てます。

最後の坂道を上がると,祭は無事終了。

今年も無事にお祭りは終わり,浜の人たちもホッとしています。

浜の人たちの思い

雄勝町,名振は震災の被害を受け,現在多くの家は無くなり,基礎だけの状態になっています。

無形民俗文化財に指定されているおめつき。

それを何としても守っていきたいと,浜の人たちは願います。

「昔は正月から毎日酒飲んでいた」

おめつきは,毎年1/24の当たり日だと決まっています。

お正月が終わると,毎日集落で集まって寸劇の練習をしていたそうです。

「集落には必ず劇を仕切る人がいて,みんなのアイデアをまとめてくれた」

一年に一度の最高の楽しみであるおめつき。

集落ごとに様々なアイデアを出して,いかに愉快に,たくさんの人たちに笑ってもらえるかを考えながら毎日集まって酒を飲んでいたと言います。

「今では昔に比べて規模は小さくなったけど,こうやって一年に一度,みんなで準備して集まれることがとても嬉しいんだ」

「いつも遠くから来てくれて,本当にありがとう」

おめつきは確かに,僕ら外部の人間から見ると大変特殊で,奇祭と呼ばれるジャンルのものかもしれません。

しかし浜の人にとっては,小さな頃から大切にして来た浜の宝物。

震災を超えて,集落から人が少なくなって,舞台を担ぎあげることが出来なくなってしまうかもしれない。

それでも,おめつきがあるから生まれる時間があって,つながりがある。

やはり祭の素晴らしさはそこにあるんだと感じました。

浜の人たちがずっと大切にして来たものを大切に出来る日。

それが祭なのです。

浜に残る若い人たちはとても少なくなっています。

しかし担っていくのは彼らしかいない。

今はとても苦しい時ですが,名振のおめつきを残して行けるかどうかは,今を生きる人たちの行動にかかっています。

この土地にご縁を頂き,祭を守るお手伝いが出来る事に感謝します。

おめつきが,「奇祭」として面白がられるよりも,それを大切にして来た人たちの純粋な思いを伝えていきたい。