「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「宮田くん,今年の祭はみんなで行くから」石巻の浜からの電話

先日,工場で仕事中,石巻より一本の電話が来ました。

「宮田くん,今飲んでるんだけどこの前雄勝に来てたんだって〜?」

電話口には,いつもの祭のメンバーでした。

宮城県石巻市大須

電話をくれたのは,毎年お神輿を担がせてもらっている石巻雄勝町,大須という浜からでした。

大須八幡神社のお祭りは毎年旧暦の3月15日。

朝から晩まで,かなり激しく揉み込みます。

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海上渡御。冷たい!

 

年によって変わりますが数年前は本当に大変で,浜を回ったあと神社境内で2時間も揉んでいたので次の日全く声が出なくなりました。

初めての大須

大須の神輿を初めて担いだのは,いつだっただろう。

「大須の神輿は,海に入るし,投げるんだよ」

そう言われて,担ぐ前は内心どんな神輿なんだと恐れていました。

実際に担いで見ると,神輿を本当に投げます。

そして走って,回ります。

神社では,役員の人たちとのかなり激しい攻防が繰り広げられ,桑浜の神輿と比べるとかなり“やんちゃ”。

神輿を持って海に入るも,春の海は冷たくて,キンキンです。

こんな荒くれた神輿を,浜の人たちは若い人たちが減っている中で続けていたと思うと本当に頭が下がります。

大須の浜の漁師たち

「昔はね,みんな最後の祭だと思って神輿担いでたんだ」

祭は,毎年春。

漁師たちは春をすぎると遠洋船に乗り込みます。

数ヶ月,半年と海に出る漁師たち。

次浜に帰ってこれるかどうか,本当に命がけだったそうです。

命がけの思いで担いだ神輿。

人生最後の神輿だと思って揉み込まれ,毎年浜の人たちにとって特別な日だった祭の日。

それは浜の歴史であり,大須の人たちのプライドです。

昨年は岡山から1200キロを一晩で

大須の祭は,旧暦の3月15日。

旧暦なので,毎年少しづつ日程が変わります。

僕が毎年お手伝いしている岡山県備前国総社宮のお祭は,4/29の昭和の日と決まっています。

昨年2018年はなんと4/29が岡山,4/30が大須でした。

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2018/4/29in岡山

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2018/4/30in雄勝



岡山の祭が終わるのは夜9時頃,そして大須は8時には宮出です。

果たして,間に合うのか?

一時は諦めようとも思いましたが,しかし!毎年必ず行くと約束したので,1200キロの道を一晩かけて走り抜きました。

宮出には間に合いませんでしたが,なんとか海上渡御には間に合い,走って海へと飛び込みました。

宮田くん,今年の祭はみんなで行くから。

正に命がけのドライブの後,必死に神輿を担いでなんとかやりきった大須八幡神社例大祭2018。

無理かと思いましたが,やり切れた。

僕には神輿しかないので,神輿の前で交わした約束は絶対です。

浜の人たちが守ってきたお神輿を,またかっこよく上げることが出来た。

それが一番嬉しいんです。

そして先日,嬉しい電話を頂きました。

電話の向こうには,浜でお世話になっている人たち。

「宮田くんの祭,今年はみんなでツアー組んで行くからね」

そうやって言ってもらえるのは涙が出るほど嬉しいんです。

毎年の春日神社の祭の日は,一年に一度僕が一番大切にしている日です。

その日は全国各地から,じいさんの作った神輿を担ぎに仲間たちが来てくれます。

本当に嬉しい。最高の日です。

もう,一人じゃない

じいさんが亡くなった年。

僕は一人でした。

じいさんの神輿を引き継ぐことなんて出来ないと思った。

一緒にじいさんの神輿を担いでくれる仲間はいなかった。

だけど今は違います。

たくさんの仲間,先輩,後輩たちが神輿を担ぎに来てくれる。

そうやって守っていくしかないんです。

僕の祭も,みんなの祭も。

今年の祭も最高の物語がたくさん生まれるでしょう。

必ず,守る。

だって僕はもう一人じゃないから。