「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」ベルリンにて

一昨年から毎年行なっている,ベルリンでの神輿渡御。

そこに来てくれたドイツ人が,一昨年と今年,お神輿を担いでくれて,日本のお祭りにも来てくれました。

「お神輿どうだった?」の質問に,彼はこう答えました。

「日本人が大切にして来た祭りの意味が少しだけわかった気がしたよ」

f:id:nobuya315:20171130214748j:plain

海外でお神輿を担ぐという事

お神輿を担ぐ,ということは大変楽しいものです。

気心の知れた仲間たちと,重いけど一生懸命になってひとつのものを担ぐ。

大変だけどその楽しさは,病みつきになってしまいます。

しかし,その表面的な「お祭り騒ぎ」だけを取り上げて外へ発信することはしたくない。

特に海外で行うからこそ,純粋で本質的でなければいけません。

「伝えたいものは何か」を明確にしなければいけない

寄せられる神輿渡御への批判

想定していたことですが,海外での神輿渡御にあたり批判も寄せられました。

「あんなの神輿じゃない」

「ただ騒いでいるだけだ」

「日本文化を汚さないでくれ」

さて,それでは,神輿とは,祭りとは,日本文化とは,一体何なのでしょう?

全国様々な祭りがあって,各地に祭りに対するプライドがあり,それはとても素晴らしい事なのであまり言及するのは嫌なのですが,少しだけ。

「神事としての祭りを行うならば,きちんと服装を揃え,足袋をはき,鉢巻を前下がりに巻くようにすべきです」

と,お叱りを受けたのですが,はて,そんな風に祭りを行なっている地域がいくつあるのでしょうか?

祭りの装束に関しては,各地域本当に様々です。

衣装論はまた長くなるので次回にしますが,僕が伝えたかったのは「表面的な」祭り文化ではないのです。

表題にもありますが,「日本人が大切にしてきた祭りの意味」を伝えなければわざわざベルリンで神輿をあげる必要はありません。

衣装や,担ぎ方などその表面では無く,深奥にあるもの,それを再現しなければいけないのです。

再現したかった「感情」

文化,と呼ばれるもののひとつの本質的な機能として,「感情の再現性」があると思います。

つまり,例えば茶道,書道,華道のような象徴的な日本文化でも,伝え,作り出したい瞬間はそれにより得られる豊かな感情,感覚であって,その瞬間を作るための手法としての文化であると言えます。

つまり,神輿を上げる際も,一年に一度,「神輿を上げなければ出会えない感情」を創り出せる事が出来なければ神輿という文化を伝えたことにならないのです。

そしてそれは,ベルリンという土地で,ベルリンにいる人たちと共有しなければいけない。

半纏を来て,足袋を履いて,鉢巻を巻いて・・・という「型」からでは無く,再現すべき感情を目標に置いてから逆算し,その場所で最大限可能な範囲で実行していかなければいけません。

そうやって上げた神輿は,祖父が製作し,数十年前,故郷で担がれていた。

そこに込められた思いを再現し,継承していく事が僕の挑戦となります。

そしてそのお神輿に触れたドイツ人が,

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」と言ってくれたことには大きな価値があり,向かっていくベクトルが間違っていないことを確認する事が出来ました。

お神輿を上げてよかった

ベルリンには,毎年岡山から神主さんも来て頂いて,神事を行い,しっかりと「お祭り」が成されます。

そして,そのお神輿がある事でたくさんの人が出会い,共に担ぎ,酒を飲み,夢が生まれる。

その中心に祖父が作った神輿があること。

僕はそれを本当に誇りに思います。

日本人が大切にして来た祭りの力を,神輿の力を,僕はまたさらに見出していきたいと思っています。