「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

都会ではお神輿は「地元の人しか担げない」んじゃなくて「地元の人は担げない」事を知っていましたか?

お祭りの華であるお神輿。

「地元の人しか担げない」と言うイメージがありますよね。

しかし実は,祭りの当日,「地元の人は担げない」と言う事がよくあります。

氏神様が乗ったお神輿を,氏子の人が担いでゆく。

それが本来の形ならば,少し意外かもしれません。

 都市では地元の神社の祭礼だと様々な役割があり,また他地域からの参加者も多いので神輿を担ぐ以外の時間を割く必要があって,氏子であっても神輿を担いでいる時間が少なくなってしまうことがよくあります。

一方で地方の祭礼だと過疎化の影響もありますが,地元のお祭りでも担ぎ手は一日中ほとんど交代しない,ということもあります。

一見すると同じようにお神輿が上がっており,祭りの関係者でないと内部の構造はよくわからないのですが,地方の祭礼と,いわゆる都市型祭礼の両方を比較して,説明してみます。

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・お神輿を担いでいるのはどんな人か

 それではまず,お神輿を担いでいるのはどんな人なのか。

通常,神輿渡御,祭礼を運営している人たちは,神輿会や祭礼保存会といった組織を作ります。

あくまで神社が主体となっている事もあります。

一つの地域に一つ,多町会であれば町会ごとに組織があります。

そういった人たちが中心となってお神輿が運営されているのは間違い無いのですが,昨今の深刻な担ぎ手の不足により,他地区から担ぎ手を招待することがあります。

招待した他地区のお祭りも担ぎ手が不足していると,来てくれた代わりにこちらも駆けつける,という事で貸し借り無しの関係性が成立します。

特に,一つの神輿に様々な半纏が見られる場合,こういった構造になっている事が多いです。

担ぎ手が不足しているお祭りをお互いに助け合い,お神輿を継続しています。

特に,関東近郊の祭礼によく見られます。

・何故,地元の神輿なのに担げないのか

 氏神様の神輿を,氏子である地元の人たちが担ぎ町を回る,のが本来行われていたお神輿の渡御なのでしょうが,いつしか地元の人たちだけで担げなくなると,祭り同士の交流が広がり,助け合う事でお神輿が上がります。

そのため,地元の人たちは,わざわざ担ぎに来てくれたお客様に楽しんで担いで頂くため,しばしば裏方に徹します。

お神輿を上げるには,もちろん担ぎ手だけではダメで,お神輿の方向を決めていく人,左右から抑える人,馬と呼ばれるお神輿の台や台車を運ぶ人,飲み物を運ぶ人,そして交通整理を行う人,休憩のための飲食を用意する人など裏方がたくさん必要です。

そのため,もうそこで担ぎ手まで人数が回らなくなってしまいます。

だから地元の祭りだと最初っからお神輿担いでいたりすると怒鳴られたりすることもあります。

一般的に,お神輿は「地元の人しか担げない」イメージがありますが本当は「地元の人は担げない」という現象が起きてしまうのです。

都市の中でも地域の人達が中心となって担ぎ上げている神輿が成立している場所は,普段から地域のコミュニティがしっかりと残っていたり,運営について祭りのない期間でも不断の努力をされています。

都市の中でも生活に地域行事を取り入れたり,神社との関わりをもつ工夫を行なっていたりしているようです。

このように都市と地方で運営方法に違いが生まれた原因は,社会構造の変化にあると考えます。

都市だからこそ地方の人口がたくさん流入し,代々地元,という人の割合が減ってしまいます。

例えば渋谷の中心地などたくさんの人が毎日往来していますが代々そこに住んでおり地域の神社や祭りに関わっている,といった関係性が減っていることは想像しやすいでしょう。

氏子と氏神様という関係はそこに住んでいれば自動的に発生しますが,わざわざ地域行事,地域コミュニティに参加し神輿を担ぐ,といった事まで住民の意識を高めていくことは簡単なことではありません。

・地方の祭りでは現在でもアンタッチャブル

 一方で,地方に残る祭礼の構造を見てみます。

地方の祭りでは現在でもお神輿は部外者はアンタッチャブルなもの,とされている場所も多くあります。

そういった場所では当たり前に祭りの運営,役員,裏方,神輿の担ぎ手さえも全て地元の人で,隣の集落であっても普通参加しない,といった不問律があったりします。

お神輿も,一日中ずっとほぼ交代無しの事もあります。
(人口が少ない場合など)

裏方や運営に関しては都市でも地元の方々により行われていますが,担ぎ手を含めた当日参加者全てが地元の人達で行われている事は僕にとっては驚くべき事でした。

先日訪れた和歌山県すさみ町のお祭りは,神輿の担ぎ手は指名制で,選ばれた人のみ担ぐ事が出来ます。

逆に地域の若者は,お神輿は「僕らは最後に行き着く場所だから今は絶対担ぐ事はない」という意識があります。

横浜で担いでいた僕にとってはカルチャーショックであると同時に,お神輿をこんなにも大切にしている場所がある事に大変感動しました。

氏子にとって氏神様を乗せたお神輿に触れる事が出来るのが何よりの名誉であり特別であるいう意味を仕組みをもって守られている事は大変意味深い事であると思います。

・神輿を共に担いでいく仲間たち

 どんな形であるにせよ,お神輿をずっと担ぎ続けていくのはとても大変な事です。

たくさんの人の協力が必要であり,担ぎ手が減っていってしまっているのは全国的な課題です。

しかし,だからと言って誰でも担いでいいよ,と簡単にはオープンに出来ない難しさもあります。

お祭りは数100年,場合によっては1000年以上続いて来た行事です。

どこの誰だかわからない人がお神輿を担いでケガやケンカしたらどうなるでしょう?

身内なら,穏やかに済ませられる事も出来ますが,現代では,訴訟問題になったりしてお祭りが続けられなくなる事だって考えられます。

実際に問題が起きた地域もあり,祭りの受け入れは慎重な判断が必要な場合もあります。

だから,長年お祭り一緒に続けて来た仲間のご縁は最大限大切にしていくことが必要になります。

他地域,と言っても僕の地元のお祭りで言えばお世話になっている神輿会は,祖父の代から長いところでは40年以上の付き合いがあったりします。

それだけの歴史を紡ぎ,きっちり付き合いを続けて来たからこそ現在でもお祭りは続いているのです。

 

僕の地元の話に限って言っても,一年に一度本当に楽しみにしている地元の祭りは,祖父の代から現在へとすでに引き継がれていますが高齢化や,地域構造の変化,神社に触れる機会の減少などにより,祖父の死後無くなってしまいそうでした。

しかし氏子の努力と,他友好団体,たくさんの仲間たちにより祭礼の間氏子が全く肩を入れられない,もしくは宮入の際にしか担げないといった状況が改善されつつあります。

「せっかく祭りへ行っても交通整理しかやらせてもらえない」

といった理由で離れてしまっていた氏子のお兄さん達もまた戻ってきてくれれば本当に嬉しいです。

一年に一度,祖父の神輿を担ぐことはとても楽しみですが,他の地域から来てくれたたくさんの仲間が笑顔で担いでくれることもとても嬉しいものです。

生まれた場所のお祭りを大切にする思いは皆共有しています。

社会の変化の中で伝統を貫くことは簡単では無いですが,残されたチャンスの中でさらに洗練,改善し次世代へ素晴らしいお祭りの文化を繋いで行くことが先人への敬意と感謝であると考えます。

 

現代社会の中で,地方と都会の構造は変化して来ています。

しかしどちらにも祭りの伝統があり,スタイルは異なりながらも残ってきた仕組みがある事は,同じように上がっている神輿を見るだけではわかりづらいかもしれません。

神輿や祭りが社会構造の変化を反映し,僕ら若い世代でも考え直すきっかけにしていく事が必要なのだと考えます。

 

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