2015年3月。
僕はタイで神輿を上げることになった。
神様。神社。神輿。お祭。
日の丸を背負って僕は神輿を上げる。
どうすればいい?僕は,福岡,宗像大社へと向かった。
・タイ,バンコクでお神輿を
今年2015年,「着物秘伝」というドラマが日本で撮影された。
タイが誇る最高のキャスト,最大の予算をかけたドラマ。
それが日本を舞台に,日本人役で撮影されたのだ。
ロケ場所は,九州。
「これは,ただのエンターテインメントじゃない」
日本とタイをつなぐ,文化の架け橋。
そのオープニングイベントで,日本文化の粋として,お神輿を上げてくれないかと声をかけられた。
バンコクでお神輿を。
舞台は,バンコク,さらに中心地,SIAM,最大の商業施設パラゴンパーク。
こんなに大きな舞台。
僕は,ショーではなくカルチャーとしての神輿を伝えなければいけない,と思った。
僕は思い悩み,神社へ思いをぶつけにいった。
・宗像大社へ
ドラマの舞台となった九州,福岡へ。
主催者である仲間とともに。
僕はご縁のあった神社本庁の方から紹介され,宗像大社へ。
宗像大社は日本の神社の中でもとても重要で歴史のある神社のひとつだ。
僕はここの神主さんに,率直に話を聞くことにした。
福岡,宗像市。
宗像市,東郷という駅からタクシーで約15分。
はじめて来る場所。
日本の神社のルーツを辿る。
神輿とは,何なのか。
・神主さんとの出会い
宗像大社を訪れると,神主さんが出迎えてくれた。
僕は率直に,タイの話をした。
「バンコクで神輿を上げることになりました。僕はどうすればいいのでしょう。」
例えば,日本のどの神様を連れていくことにすれば良いのか,はたまた実はタイにも神社があり,そちらへお願いすればいいのか。
お神輿の形はどうすればいいのか。
神道と仏教が争わないようにするにはどうすればいいのか。
僕は思いのたけを全てぶつけた。
そして僕の,人生の転機が訪れる。
・「君は,真面目だねえ」
僕は,呆気にとられた。
「この神社も最初一本の木だったんだよ。」
宗像大社は,神籬ひもろぎ神社だ。
つまり,ご神体は,木なのである。
「この神社は,数千年前からあった。だけど,最初は一本の木だった。」
「いつしかこの木はなんだか癒されるなとか,人がいつもいるなとか,そうやって大切な木になり,柵が出来た。」
「そしてお年寄りや,たくさんの人が来てもいいように椅子が置かれた。」
「雨の日でも来れるように,屋根が出来た。」
「そうやって,1000年くらい経って,今ここに神社があるんだ。
ここに立派な社殿を建てたから,ご神体を持ってきたから,こうやって今でも人が集まり宗像大社があるわけじゃないんだ。」
僕は,ハッとした。
・それを人は,神様と呼ぶんだよ。
僕の中の大きなわだかまりが融けた気がした。
「君のやろうとしてることは,まったく逆。」
「日本から神様を持っていったから,立派な神輿を作ったから,異国の人たちに大事にしてもらえるのかな?」
「神輿なんて,丸太一本でもいい。
大切なのは,現地の人たちにまた来年やりたい,また担ぎたい!と思ってもらえるかどうか。」
「それが10年続けば,20年続けば。
そんなにたくさんの人たちの思いが重なっている大事なものだから。
神輿に宿ったものを,人は神様と呼ぶんだよ。」
大事な大事な話だった。
僕は神社の,神様の正体に一歩近づいた気がした。
想いを重ねていくこと。想いが重なって来たこと。
伝えなければいけない神輿という文化について突き詰めた時。
僕は日本が育んできた神道の真髄に触れた。
・伝えるべき神輿の文化
僕がバンコクで伝えるべきは,形骸化されたお神輿のショーではない。
神輿が複数の想いをひとつにまとめることが出来るならば,今回用意する神輿に寄せる想いを愚直に,少しづつ重ねていくことが本質なのだ。
僕の伝える神輿が10年,20年と続いて行くのなら。
宗像大社の神主さんが言っていたように,きっとそれが祭りの真髄であり本質なのだろう。
「神様ありき」「神社ありき」ではなく「人の想いありき」
僕はバンコクで,そんな神輿を上げた。