ご無沙汰です,色々ありまして滞っていました近況報告をもう一度。
明日から,もう一度バンコクへ行く。
今週末2/12~14に行われるタイジャパンエキスポで神輿を上げるために。
僕はなんのために海外へ「みこし」を上げに行くのか。
その理由を綴ってみたい。
簡単に言えば,僕は「みこしの力」を証明に行く。
・おみこしって何だろう
僕はきっとその答えを探している。
神輿とは,教科書的に言えば神様の乗り物だ。
それを人が運んでいる。
しかし僕は,その説明をしながら,もう一歩踏み込んでみる。
みこしとは,担ぎ手の感情を最大限に引き出し,可視化する装置だと。
みこしを担ぐ際,そして担ぎ終わった後,二つの大きな感情が生まれる。
それは,高揚感と連帯感だ。
声を張り上げ,肩の痛みを抑えながら担ぐうちにこみ上げてくる感情。
それは,一年に一度みこしを担ぐことで創られる感情なのだ。
そしてもう一つ,担ぎ手の連帯感。
みこしを担ぎ終わった後,一緒に担いだ仲間の中に言葉の無い連帯が生まれる。
現在ではたくさんの派閥的な分裂や,ホストとゲストの様な構造が生まれてしまっているが(これはかなり一般的な現象だがここでは例外とする)
無色なコミュニティの場合,その辺の人とハグしたくなる。
僕は,みこしをそう捉えている。
・感情の集約
以前ここでも書いたことがあるが
バンコクでどうやってみこしが担がれていくのか。
それについて真剣に考えていた。
バンコクにみこし文化を伝えようとしても,日本の神様を持っていくのはナンセンスだ。
それは宗像大社の神主さんも言っていた。
僕は日本の祭りをいわゆる「宗教行事」とは捉えていないし(一般的認識として)
そうやって説明しようとすると大変ややこしくなる。
それよりも,神主さんが教えてくれた
「あなたがおみこしを伝えたいと思うなら,意味や形式に捉われるのではなく,そこでまた来年担ぎたいと思う方法を考えなさい。それが10年続いたら,20年続いたら。そのおみこしの中心にある何かを,日本人は神様と呼んだのでしょう。宗像大社も,最初は一本の木だったのです」
という非常にシンプルな機能と現象を説明したい。
・みこしは一人じゃ上がらない
みこしを作っていたじいさんがいつも言っていた言葉だ。
それがみこしの一番の良さだと。
みこしを上げる,ということは,それ自体が沢山の人の協力を必要とする。
担ぐ人だけじゃない。
裏でおにぎりをつくってくれる人。
見学しながら声援や拍手を送ってくれる人。
リズムを刻んでくれる人。
そんな人たち全てがおみこしに思いを寄せる。
以前おみこしは神様の充電装置だと言う記事を書いたが,思いを寄せるということはそういうことだ。
タイで担がれるおみこしの元に,また沢山の人の気持ちが刻まれるのだろう。
それが毎年増えるうちに数千,数万と重なっていけば。
そうやっておみこしは本当の力をつけていく。
おみこしの本当の価値は,「大事にし続ける」ことで高まっていく。
あなたの近所の神社は,そうやって数百年,もしかしたら一千年以上そうやって続いてきたのだ。
僕はみこしの力を証明したい。
国を超え,人間の根底にある感情を引き出し,集約させることが出来る。
僕はみこしを担ぐたび、数百年前のご先祖様が同じ感情になっていたのかも知れないな,と思いを馳せることにしている。