神輿を担ぐ際,まず神主さんが神事を行います。
御霊(みたま)入れ,といって神社からお神輿に神様を移しています。
それでは,神社の中,正しくは本殿の中に何があるのか,知っていますか?
神社には拝殿と本殿がある
神社は通常,拝殿と本殿の2つからなっています。
僕たちが神社へ行って,お詣りするのは拝殿と言い,その奥に本殿があります。
本殿は聖域なので,通常神主さんしか立ち入る事は出来ず,中に御神体がおさまっています。
御神体は,鏡やお札,石,神像など様々です。
しかし,何も無い場合もあります。
何も無い,しかしそこには「存在」がある
本殿の中には,具体的なものは何も無い(何も無い,というと少し語弊がありますが)場合もあります。
しかしそこには,「存在」があるのです。
御神体の有無は,あまり重要ではなく,(通常何があるのか知りません)とても重要なのはそれが数百年,時には千年を超え大切にされて来たという事実です。
様々な時代を乗り越え,それでもそこに在る。
その奇跡の証明が,目の前に在るのです。
その「存在」の価値は人がつくって来た
御成敗式目の一文に,
「神は人の敬によりて威を増し,人は神の徳によりて運を添ふ」
という言葉があります。
神は,人が敬い思いを寄せることで力を増します。
神社の中に在る,「存在」は,長い間人が大切にして来たからこそ価値があり,その価値がまた人に恩恵を与えていく,という考え方です。
ですから,これまでもこれからも,神社やその土地,そしてその思いを大切にすることで,その価値と力を保ち続けていくことが出来るし,それが出来なければ真に継承していくことは出来ないのでしょう。
「祭=楽しい」という表面的な事実もありますが,しかし一体その一日は何してんのか,という事を少し考えてみてもいいのかもしれません。
お神輿は神様の充電装置
以前こちらの記事でも書きましたが
お神輿は,神様,つまり本殿の中に在る「存在」の力を充電させる装置と考えることが出来ます。
その日,お神輿に乗ってたくさんの人に担がれ,里に降りてくることでより多くの人がさらに思いを寄せることが出来,「威を増す」ことにつながります。
「祭=楽しい」というエンターテインメントとしてだけ捉えていても,またそういう風にお神輿を担いでいても,もしかすると真に祭に参加しているとは言えないかもしれません。
数千,数万の人たちの汗と思いが染み込んだ担ぎ棒に触れ,お神輿を担ぎ上げることによってその「重み」は肩に伝わって来ます。
お祭の日,お神輿を担がせていただく,そこに思いを寄せる事は大切に紡がれて来た里の物語をまた,一つ前へ進めているのです。