タイでお祭りを行う前に,僕は宗像大社へ行った。
木がそこに一本生えていたから。
ずっとそこに住む人に大事にされていたから。
数千年の歳月が経ち,そこに神社が出来た。
宗像大社で聞いたもうひとつの大切なお話を,思い出してみる。
東日本大震災,全壊した数々の神社
2011年,東北地方に1000年に一度と言われる震災が起きた。
震災で起きた津波の影響により,数々の神社が被害を受け,全壊した。
中には本殿も被害を受け,ご神体まで流失してしまった神社もあると言う。
「たくさんの相談を受けたよ。神社を再建するにはどうすればいいのか、とね。」
ご神体は,様々だ。
宗像大社のように古い神社は木,岩,山などの場合もあるし,札,鏡,刀などものである場合もある。
そういったものが無くなってしまえば,神社を再建することは出来ないのか。
一本の杭
「僕は,神社が無くなってしまえば,そこに杭を一本立てておけばいい,と言った。」
「何度も言うが,ここの神社のはじまりは木が一本立っていただけだったんだ。」
「神社の本質は立派な社殿でも,由緒正しいご神体でもない。」
「人の気持ちが集まる目印を,立てておけばいい。
「そしてまた,土地の人と協力してそこを大切に守っていけばいいんだ。」
僕は,ここで,神社が維持されてきた要因は格式高い御祭神や,技巧のこらされた神社社殿ではないと再確認した。
御祭神も,ご神体も,人の想いが重なって初めて意味を為す。
神社,祭,神様,神道の本質はいつもそこにある。
はじまりは,一本の杭でいい。
人の想いを集めるということ
今,多くの神社が存続の危機を迎えている。
たくさんの理由がある。
地方であれば,過疎,高齢化,後継者不足。
都会であれば,神社離れ,住宅事情の変化。
一人の神主さんが,数十カ所の神社を兼務している場合もたくさんある。
そしてほとんどの小さな神社は経営が成り立たず,他の仕事を掛け持ちながら生活している。
このままでは,祭どころか神社が無くなってしまう。
そんな未来は,目の前だ。
神道とか神様とか宗教とか言う前に,先人が大切にしてきた文化と想いを当たり前に受け継ぎ,次に繋いで行くべきではないか。
数百年,一千年以上続いてきた文化が今まさに危機を迎えている。
誰かがではなく僕たちが,もう一度生まれた場所や縁のある場所に想いを寄せ,感謝の気持ちを伝えよう。
僕たち日本人は,ずっとそうしてきたのだから。