「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

神社祭りもハロウィンも,「コスプレして大騒ぎする日」なのか!?

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ハロウィンが近づいている。

こんなに日本人がハロウィンに熱心になったのはいつからか。

「ハロウィンは,最高の祭りだぜ!」

と若者は声高く叫ぶが,ふと疑問が浮かぶ。

何も知らない外国人や子供に,

「ハロウィンも神社のお祭りも,みんなコスプレして大騒ぎしているけど,何が違うの?」

と聞かれたら,何と答えるだろうか。

祭礼衣装は「コスプレ」?

祭礼の衣装には,地方性があり多くは神事に臨む「正装」である。

が,「正装」である所以は大変あいまいだ。

例えば,江戸の祭りに代表される「ダボシャツ,股引,半纏,足袋」,白丁といって,烏帽子に白装束を着る場合もあるし,浴衣や,神楽衣装,締込みのみだったり,顔を化粧し,まさに「仮装」して担ぐ神輿もある。

何が「正装」かは,土地によって違う。

何も知らない人が種々様々な衣装を見て,「コスプレ」との違いはわからないし,実際同じマインドで祭りに参加している人もいるだろう。

ひとつひとつ意味や伝統があるが,全く知識の無い人に客観的に見られたら,「コスプレ」と思われてしまうかもしれない。

実際,新しく神輿が上がる,お祭りが出来る場合を見てきたが,衣装は「何となく」決まる。

委ねられるのは日本人的なセンスと美意識といった感性だ。

祭礼の衣装も含めて,作り上げられる風景は文化なのだ。

ずっと繋がって来たから,それは文化と言える。

そこにプライドと明確な意識が無ければ,「コスプレ」と変わらないし,実際そう見られている。

「正装」を「正装」たらしめているのは,ずっと繋げてきてくれた,先人の想いだ。

ハロウィンと神社祭りの違いを考える

最近では,神社や寺でもハロウィンイベントが行われているらしい。

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それでは,ハロウィンやクリスマス,音楽フェスなどの「イベント」と神社祭りの本質的な違いは何か。

まず,少し整理するが,神輿を担ぎ,町内を回ることは「神事」だ。

それに付随するお囃子や獅子風流,神楽は「奉祝行事」で「神前に奉納」する。

ここは少し違う。

つまり,「神前に奉納」するなら,神主や氏子が認めれば何してもいいのだ。

実際にジャズライブも,コンテンポラリーダンスも,プロジェクションマッピングも,行われている。

ハロウィンの仮装やクリスマスのプレゼント交換でさえ,可能になるかもしれない。

祭りとは何なのか。

「ただ楽しく,大騒ぎ出来て,酒が飲める日」では無い。

その理由を,考える。

「神事」とは,「神前に奉納」とは,祭りとは,一体何か。

祭りは元来,一年に一度土地の神様(氏神)を土地の人たち(氏子)が迎え,おもてなしする日だ。

大好きなお客様が来るのと同じように,その日は賑やかに,華やかに迎える。

そして,数百年,時には千年近く,氏子によって守られてきた場所。

それが神社である。

そこに収められているのは,ご神体,御霊,とも言う。

それが 神様 だ。

さて,御成敗式目の一文にこんな言葉がある。

「神は人の敬によりて威を増し,人は神の徳によりて運を添ふ」

つまり,神様を神様たらしめているのは,「人の想い」なのだ。

土地を守ってきた何世代にもわたるすさまじい数の「人の想い」だ。

その根底にある繋ぐべきこころと,文化は何なのか。

僕が祭りを行うとき,土地の神社と,その神社を守ってくれた先人に感謝する。

世間は無垢の目で僕たちを見ており,時に僕たちはそれを忘れる。

数多行われる賑やかしのイベントと,神社祭りを並列に捉えている人たちはとても多い。

祭り文化の継承とは,先人が重ねてきた想いをリスペクトし,その想いに失礼の無いよう,想いと行動を重ねていくことだ。

神道だとか神様とかではなく,一人の人間のプライドとして。

ずっと大事にされてきたものを無下に変えたくないし,途切れさせたくない。

日本の祭りの最大の魅力であり力は,1000年を超える歴史の中で数えきれない程の人の想いが重なっている点だ。

その中心にはいつも神社があり,そこには裏切れない数多の想いがある。

次に繋ぐ準備をしなければ。

まず,祭りとは,一体何なのか。

しっかりと答えられるようにしようと思う。

神社のお祭りは「コスプレして大騒ぎする日」では無い

しかし,「コスプレして大騒ぎ」しているだけの人達も,いる。

そんな風に祭りに来ている人も,いるだろう。

お祭りにそういった要素があることは否定できない。

しかしそこだけを抽出して,「祭り」という言葉が使われ,氾濫している。

僕はそういった現状を危惧しているし,同じように見られていることに悲しみを覚える。

そんなヤツらに,「祭り」という言葉を奪われてはいけない。

僕らの「祭り」の根底にあるものは,他の多くのイベントとは全く異なる。

ご縁のある土地を守り,作り上げてきた先人の数えきれない想い。

それが,全国8万あると言われる神社ひとつひとつに宿っている。

そこにそんなに大事なものがあるのなら。

僕らは神様とか,神道とか言う前に人としてそういった想いの集まる場所に敬意を払い,愚直に祭りを行う。

その風景を次に渡すのは,今を生きる人の責任だ。

「祭り」を守り,伝えよう。