「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

神輿を担いでいる時,人はみなフラットになれるんです

「担ぎ上げる」という言葉がある。

一般的に,日本のお祭りで神輿が出る場合,「御霊入れ」という行事があり神様を乗せる。

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そして複数人によって担ぎ上げられる。

少しそれを視覚的にどういう意味があるのか考察してみる。

神様と人との上下関係について

神様,とういうものをざっくり捉えると「人間よりも上の立場の存在」であると言える。

それは具体的にも,象徴的にもそうだ。

別にその考え方はそれぞれの宗教観から捉えなくても,人と土地の関係性や人と先祖,の関係性を考えれば人類共通で生み出されるものだ。

特に具体的な信仰の対象となる「生きた人間」がいない場合,その存在のみが信仰の対象となる。

しかし考えてみると,日本の祭りを行う際,あまり神様の存在だとか意識していない。

意識していないが,無意識に感じているし,教えられている。

その仕組みはなんなのか。

神様はいつも人の肩の上にある

神輿を担ぐ時,神様は人の肩の上だ。

つまり人間の上にある。

一日中人より高いところに置かれ,人はそれを象徴として思いを寄せる。

つまり,自動的に「人」と「神様」の2層構造が生まれる。

その時人は全て平等なのだ。

もちろん,その中に当たり前の社会構造はあるが,僕はお祭りの日,人の平等性を表現できるような気がしている。

「神様」と「それ以外」の2層構造が里にもたらされる。

神輿を担いでいる人たちは,立場やバックグラウンドを超え,フラットな「人間」なのだ。

お祭りですから!という言葉

お祭りへ行くと,しょっちゅう耳にする「お祭りですから!」という言葉。

大変たくさんの意味がある気がするが,お祭りですから!の先は「今日は楽しみましょう!」とか「今日は無礼講で!」とか「固いこと抜きで!」とかそんな言葉が続いている。

困ったら「お祭りですから!」と言えばにこやかに終わる,便利な言葉である。

お祭りは,神様を里にお迎えする日である。

神様は通常神輿に乗ってくる。

大切なお客様である神様が一年に一度里に下りてきてくれるのだから,細かいこと気にせずに,楽しんじゃいましょう!

みたいなニュアンスだ。

(使いすぎると怒られるけど・・・)

神様を迎えるために,みんなで楽しく賑やかに里を盛り上げましょうという同じ目的を持つことになる。

ベルリンの神輿で表現したいこと

2016年5月15日。

ベルリンで神輿が上がる。

カルナヴァールデアクルトゥーレンというベルリン最大の文化の祭典。

僕が神輿を通じて表現したいのは,まさに人が文化の力でつながりフラットになること。

もちろん,日本文化の粋としての神輿,祭りのかっこよさを表現したいが,ショーケースとしての神輿ではなく関わってくれた,担いでくれた人たちは神輿の名の下に平等であり繋がっていけるというメッセージを表現したい。

今回の神輿を上げるにあたり神輿に日本から神様を呼んだりしない。

神輿の中は,空だ。

そんな神輿意味ねえと言われる方は本当に多いが,僕はそうは思わない。

空だが,そこに存在がある。

この神輿は祖父が製作し,数十年も横浜の里で担がれ,たくさんの想いとご縁によってフランスへ渡った。

海を越え,さらに多くの人たちによって神輿に想いは重ねられていく。

その「想い」の対象は神輿に向けられ,もっと正確に言えば神輿の中の「存在」に想いが重ねられていく。

数千,数万の想いが重ねられて神輿の中の「存在」というエネルギーは何にも代えがたく,人がそれを大切にする何よりの理由だ。

「みんなが大切にしているから大切にする」

という何よりパワフルなモチベーションと理由をそこに込め,ベルリンで神輿を表現したい。