「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

神輿や祭に何の意味があるのかと問われれば,最高だからと答えたい。

全国には様々な祭があります。

神社,お寺,その他を含めれば数十万あるとされる祭。

しかしこんなにもたくさんの祭は何故今も残され,継続しているのか。

僕は祭によってたくさんの人たちのご縁と想いが重なり蓄積されて大きな力になり,さらには日々の暮らしが豊かになるからだと考えます。

ハレ(非日常)とケ(日常)が何故区別され,祭という一日が作られたのか。

そして何故先人は命がけで繋いできたのかについて考えてみようと思います。

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地元の神輿で祖父の神輿を担ぐ。

そもそも祭とは

それではそもそも祭りとはなんなのでしょう。

まず,宗教行事,民俗行事に関わる儀式,信仰から行われているものがあります。

日本では仏教,神道つまりお寺や神社に関わるものが各地域に残されていますが,その土地に残された風習に基づいているものもあります。

例えばどんど焼などは様々な慣習が混ざった上で行われており宗教行事というよりもその土地に残された風習であると言えるでしょう。

祭の形態は様々ですが,今回はその起源や歴史を紐解くのではなく,「どんな想いで」行なっているのかについて考えていければと思います。

神道だから、は関係ない

僕は神社が大好きでとても大切にしたいと思っていますが,「神道」だから「神様」だから神輿を担いでいるのかと言われると一番強い想いはそうでもありません。

僕が祭を続けている理由は,「ずっと大切にされてきたから」だと思います。

僕の故郷は横浜で,生まれ育った街には春日神社という神社があります。

産土神社であり氏神さまになるわけですが,祖父は祖母と結婚して戦争により途絶えていた祭を復活させるべく神輿を製作し,仲間を集めて祭を始めました。

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ずっと祭をつないできた祖父の背中。神輿は受け継がれている

今毎年担がれている神輿も,ヨーロッパにある神輿も春日神社の祭礼で使用されていたものです。

祖父と祖父の仲間たち,そこに住む人たちの思いがたくさん詰まっています。

「想い」を繋いでいく

どんな地域の祭も,その祭に関わった人たちや神輿を担いだ人たちの想いが蓄積されています。

お祭りを続けていくことでその想いにさらに想いを重ね,世代を超えてつないでいくことが出来ます。

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世代を超え受け継がれていく背中

そうやって守られ続けてきた仲間との,そして先人との「約束」は,地域の文化となり誇りとなっていくのです。

祖父が人生かけて守ってきた祭。

ヨーロッパで今上がっている神輿は僕が幼いころ地域で担がれていたものですが新しい神輿に代わり20年以上も倉庫で眠っていましたが2014年フランスに渡ってから各地へ広がり,2019年の今年はドイツ,ポーランド,スロベニアでの渡御が決定しています。

そうやって想いはつながりさらに蓄積されているのです。

だから「大切」なもの

たくさんの想いが詰まっているから,しかもそれは家族や親戚,地域の人たち,大切な友達の想いです。

それが集まって残されている祭。

そして神輿にはその想いが集合しています。

「神様=想いの集合体」であるかどうかはわかりませんが,

神は人の敬によって威を増し人は神の徳によりて運を添ふ

という言葉は,たくさんの人の敬いが神様の力を強め,そしてその力(徳)によってまた人は恩恵を受けると言っています。

大切な誰かが大切にしてきたものを大切に出来る日。

それが祭の一日なのです。

なぜ祭を行なっているのか

祭の一日は,「ハレ」の日です。

毎日の暮らしに対して,非日常であると言えます。

それに対して「ケ」という日常があります。

「ハレ」と「ケ」が密接に関連していることで,地域つまりは人の営みは作られているのだという考え方です。

それでは祭はなんのために行なっているのでしょうか?

もちろん,伝統を守るため,そしてたくさんの人の想いをつないでいくためでもあるのですが,さらに踏み込んで言えば

「豊かな毎日を送るため」

です。

一年に一度,氏神さまの祭を継続していくことで毎日を豊かに暮らすことが出来ています。

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祖父の神輿の元に毎年たくさんの仲間が集まってくる

祭によって頂いたご縁は日常を作り,さらに善き日常を送っていくことでより良い祭を行うことが出来る。

それは先ほどの言葉

神は人の敬によって威を増し人は神の徳によりて運を添ふ

に記されているとも言えるでしょう。

祭を行うことで人は神様に触れ,たくさんの想いを寄せます。

そして力を増した神様は人の日常を豊かにし,豊かな日常を作ることが出来た人々はまた豊かな気持ちをもってより強い想いを寄せることが出来るのです。

そうやって地域は守られてきた

これが数百年祭が維持されてきた「からくり」だと僕は考えます。

祭を継続していきたいなら,さらに発展させていきたいなら祭の1日だけを考えていてもダメです。

祭の1日と残りの364日が強く関連していることを理解し,

「日常に生きる祭」と「祭のための日常」

を充実させることが必要です。

ハレとケは互いに関係し合い,互いが高まっていく状態になればきっと祭は未来に届けられるはずです。

そして祭がそのような役割を持っていたからこそ地域は守られてきたのでしょう。

祭は伝統文化の枠を超え,地域を豊かにする極めて優秀な社会システムなのです。

祭は僕たちの宝物

だから祭は、ご先祖様が残してくれた大切な宝物です。

当たり前に残ってきたわけではありません。

そして同時に、当たり前に残っていくわけでもないのです。

たくさんの人たちのたくさんの想いで繋がってきた文化を、次世代へ届けたい。

伝統は重荷であってはいけないし、それでは残すことは困難です。

何の意味があるのかと問われれば,最高だからと答えたい。

祭の一日は必ず関わった人の日常を豊かにします。

そして豊かな人の心と行動はやがて地域を豊かにしていくのです。

そんな祭づくりをこれからも続け,次世代へ襷を渡すことが出来るようになりたいと思います。

 

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