「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「神社のお祭りに参加されている人は,皆さん神道を信仰しているのですか?」

f:id:nobuya315:20151027194827j:plain

「神社のお祭りに参加されている人は,皆さん神道を信仰しているのですか?」

と,聞かれることが,よくある。

さて,全国の祭り参加者の皆さんは,どう答えるだろうか?

神道=宗教は,一般的な理解

上記の質問をされ,僕は非常に驚いたとともに,一般的な理解はそうなのかもしれない,と思った。

通りすがる人達にそういう風に見られている,と思うと一生懸命祭りの事を考えている僕は,熱心な神道信仰者,なのか・・・。

神輿を担いでいる人,お囃子を行っている人,山車を引いている人,様々な形で神社の祭りに参加しているが,はっきり言って宗教行事としての神事だと思って参加している人は1パーセントもいない気がする。

そこに,お祭りに参加する人達と一般論に大きな差がある。

そして,神道=宗教だ,という社会前提に無理があることがわかるのだ。

少し,考えてみたい。

御祭神

例えば,参加するお祭りの神社の御祭神を知っているだろうか。

お神輿を担いでいる時に,神輿に何が入っているか,という事だ。

神社には,必ず御祭神がいる。

どの神様が祀られているか,という事だ。

僕は,知識として知っているが,お祭り参加にあたり,いちいち調べない。

第一,あまり興味がない。

お祭りの意味は,もっと深い所にある。

お祭りの本質を,探りたい。

土地と先祖への信仰

神道と祭りを考える際,僕にとってそれは,何故神輿を担ぐのか,という自身への問いかけから始まる。

僕が神輿を担ぐきっかけは,祖父の存在だ。

幼少時代,祖父は工房で神輿を作り,いつもその姿を見ていた。

お祭りの日,いつも遊んでいた神社はとても華やかになりたくさんの人が訪れ,汗だくになって祖父の神輿を担いでいた。

一年に一度,たくさんの人に遊んでもらい,最高に楽しい日。

それがお祭りだ。

そんな思い出と,祖父の背中から僕は神輿を担ぐようになった。

今,何故僕は地元,春日神社の神輿を担ぐのか。

それは,決して春日神社の御祭神を信仰しているから,では説明されない。

祖父は亡くなったが,祖父が人生をかけた神輿を,神社を,祭りを,僕は当たり前に大切にしようと思う。

また,生まれ育ち,幼少の頃いつも遊び場でありたくさんの思い出と今でもたくさんのご縁をくれる春日神社に感謝し,お祭りを絶対に残したいと思う。

各地のお祭りも,同じだ。

「信仰」があるとすれば,その土地への感謝と,その土地や祭りを守って来た先人への思いだろう。

それは,宗教よりももっとパワフルで自然な思いだ。

祭りをつなぐ意味

何故,祭りへ行くのか。

何故,繋いで行かなければならないのか。

もう一度,自身に問いかけなければならない。

そして自由で正直な思いを常に用意しておくべきだ。

"宗教"神道の信仰者だから,といった簡単な答えではない。

同時に,そういった一般理解があることも自覚しておかなければならない。

守るべき日本人のこころは,もっと高次元のところにあるはずだ。