2016年2月12日〜14日。
バンコクで2回目のみこしが上がった。
「みこしって何だろう。」
その答えを探っている。
宗像大社の神主が僕に与えてくれた言葉の意味を探しに。
・バンコクへ到着
11日,スワンナプーム空港。
飛行機を降りると,日本では忘れかけていた熱気と湿気だ。
ホテルに荷物を置き,会場へと向かう。
今回みこしを上げるのは,JAPAN EXPO IN TAHILAND 2016
3日間で10万人以上が来ると言う。
昨年も同じ商業施設であるsiam駅の目の前の,パラゴンデパートだ。
僕が到着したのは夜9時過ぎ。
会場裏は,凄まじい熱気と湿気だ。
僕は昨年上がったみこしと再会した。
昨年の熱い瞬間がこみ上げる。
そこに,みこしの真実の価値がある。
・思いが集まり,伝わっていく
このみこしは,昨年の3月,バンコクで3日間担がれた。
みこしを担いでくれたタイ人の表情が変化していき,最後にみんなで最高の瞬間を迎えた。
担ぎ棒には,その時の汗と思いが刻まれている。
それも,たくさんの「人間」のだ。
僕は前回の記事
で,みこしを『担ぎ手の感情を最大限に引き出し,可視化する装置』と説明した。
そしてもう一つ,『感情の集約』という機能がある。
みこしは一人じゃ上がらない。
よって,みこしを上げる際,感情が集約される必要がある。
そして,担ぎ棒にすがる担ぎ手の思いが一つになり,ダイナミックにみこしに伝達する時,みこしは美しく動くのだ。
その瞬間は,みこしを担ぐことでしか味わえないし,逆に言えばみこしにはその感情を創り出す力がある。
僕が文化として伝達すべきはその「感情」だと思う。
ショーケースやみこし体験,といった次元の物ではなく,みこしという装置を使って引き出され,さらに集約した感情の集合体を一人一人が感受する。
その「集団エクスタシー」こそ,僕が伝えたいみこしの文化である。
エクスタシーは中毒となり,その1年に一度の感情が積み重なってみこしは価値を持つ様になる。