我々が触れ,大いに楽しみ,心待ちにしているまつり。
しかし長い歴史の中で,日本人はまつりという言葉をどのように扱い,どのような意味で使われてきたのか。
当たり前のように普段使っている言葉ですが,その大本の意味についてきちんと考えることってなかなか無いですよね。
今回は「まつり」という言葉について書いていこうと思います。
まつりの語源「まつ」
まつりの語源とされるのは,「まつ」という言葉です。
「まつ」「まち」というのは,「守つ」と書かれ,神慮を表現する意味として使われていました。
例えば先日行われた大嘗祭で使用された新米をどの地方の田のものにするか行われる亀卜(きぼく)という,亀の甲羅を熱して行う儀式がありますが,亀甲に現れたその形を「卜象(うらかた)」と言います。
その卜象のことを「まち」,というのは,亀甲に現れたその模様こそが神意の現れ,神のお告げだったからでしょう。
「まつ」が変化し,「まつる」「またす」へ
まつ,を語源として変化させると二つの言葉となります。
それが,「まつる」,「またす」という言葉です。
私は、まつる・またすといふ言葉は、対句をなして居て、自ら為る事をまつると謂ひ、人をして為さしむる事をば、またすと謂ふのであると見て居る。
ー折口信夫“大嘗祭の本義”
ここで,民俗学者の折口信夫は,まつるという言葉は自ら行うこと,またすという言葉は誰かにやらせること,であって対をなす言葉であると言っています。
まつ,というもともとの言葉が変化し,対をなす二つの言葉が出来ていることがわかります。
ここに,まつる,という言葉の起源があります。
神と人との関係「みこともち」
ここでまた,折口信夫の言葉を引用します。
“昔は、神の威力ある詞を精霊に言ひ聞かせると、詞の威力で、言ふ通りの結果を生じて来る、と信じて居た。此土地の精霊は、神の詞を伝へられると、其とほりにせねばならぬのである。此が、まつるといふ事で、又
“神又は天子様の仰せを伝へる事が、第一義である。処が、天子様は、天つ神の詞を伝へるし、又天子様のお詞を伝へ申す人がある。(中略)かうした人々の事を、
ー折口信夫「大嘗祭の本義」”
かつて,神の言葉が精霊に伝わると,その通りになると信じられていました。
しかし,神と人との関係の中で,神と精霊,神と人の間に入り神の言葉を伝える人がいます。それを「みこともち」と言います。
つまり,「まつる」という言葉の原義は,神の言葉,お告げを意味する「まち」を宣る,伝えることを意味していました。
このことから,かつての「まつり」は,シャーマンのような人が神様からお告げを受け取り,それを呪文のような言葉で人や精霊に伝える儀式でした。
しかしこの形は,現在僕らが行なっている祭りとは異なることがわかります。
原義の「祭り」のベクトルは神様から人へ向いていますが,現在の祭りは人から神様へ向いており,方向が逆です。
このことについても,折口信夫は以下のように述べています。
「まつる」と「まつりごと」
“私は、祭政一致といふ事は、まつりごとが先で、其まつりごとの結果の報告祭が、まつりであると考へて居る。”
政という字は「まつりごと」と読みます。
祭は「まつり」ですね。
祭政一致というのは,一般的には宗教と政治が一体化していることを意味していますが,大変興味深いことに折口の考えでは,単純に祭=宗教,政=政治,ではないようです。
先に述べた「まつる」という言葉,つまり神の言葉を精霊や人々に伝え,土地に恵みをもたらすことが「まつりごと,政」であり,その報告を行うことを「まつり,祭」であると述べているのです。
報告祭としての新嘗祭
先日,天皇陛下による大嘗祭が行われました。
大嘗祭とは,天皇陛下が即位後,初めて行う新嘗祭のことです。
新嘗祭とは,毎年11月23日(勤労感謝の日)に宮中で行われる行事で,天皇陛下が新穀を神に供え,また自らも召し上がる行事です。
新嘗祭を例にとってみれば,一年に一度,五穀の豊穣を神に報告するといった性質があることがわかります。
「まつり」という言葉の原義とは
以上のことをまとめると
古来より人と神様,さらには自然の精霊の関係性が強く意識されており,神意,お告げのことを「まち」と呼びました。
その「まち」を伝える人のことを御言持(みこともち)と言い,その言葉を伝えることを「まつる」と言っていました。
「まつる」ことで大地の恵みを頂き,一年の繁栄をもたらすことを「まつりごと」,そしてまた,その報告を神様に行うことを「まつり」と言います。
このようにして「まつり」という言葉が生まれ,使われるようになったと折口信夫は述べています。
<参考文献>
折口信夫「大嘗祭の本義」
同「折口信夫全集 二 ほうとする話 祭の発生その一」