「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

地元の神輿渡御が中止。今年祖父の神輿は上がりませんでした。【令和元年春日神社例大祭】

よく晴れた日曜日。

令和元年の九月,僕の故郷春日神社の例大祭,神輿の渡御は中止でした。

祭礼前の木曜日の夕方,

「雨の予報により今年はお神輿上げないことにしたみたいだよ」

祖母から電話がありました。

一年に一度,その日のために必死になって走り回って来た僕は,呆然としてしまいました。

祭は一年に一度の約束だから

一年に一度,仲間たちが集まり,神輿を担ぎ町を回る事。

それは,集まってくれる仲間達,そして神輿を守って来てくれたご先祖様との無言の約束です。

特に僕は,祖父に強く影響を受けていました。

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祖父が亡くなる前の年。じいちゃんはこんなに元気だった

幼少の頃,祖父母の家で育てられた僕は,何度も祖父に

「お前は俺の宝だから」と言ってもらえた事を覚えています。

祖父にとって最後となってしまった2011年のお祭りの時も,神社宮入の様子を見て,

「かっこいいだろ」

とにっこりと笑いながら言っていたのを覚えています。

祖父はその人生の全てを神輿に注いでいました。

毎年祖父のもとにたくさんの人が集まり,みな楽しそうに,一生懸命に神輿を担いでいました。

大きくてとても重い祖父の神輿が毎年悠然と担ぎ上げられる姿は,幼い時から僕の憧れでした。

祖父が亡くなった日。

朝,祖母に起こされると,祖父は床に倒れていました。

そこから心臓マッサージを必死にしたけれど,何も変わらず,しばらくして救急隊が来たけれど,祖父は亡くなってしまいました。

 

2011年10月20日 「ブログ さようならとたくさんのありがとう」

昨日じいちゃんが死んだ

5:50

たたき起こされ見た先には

うつぶせに倒れたじいちゃんの姿だった。

俺はばあちゃんとじいちゃんの体を起こし心臓マッサージをする

いま思えばあの時じいちゃんは冷たくなっていた

でもその時は気付かなかった。

いや、受け入れられなかった。

必死に続ける。

何の反応もない。

救急隊が来る。

「聞こえますか!聞こえますか!」

呼吸停止、心肺停止。

救急車にのってじいちゃんは連れて行かれた。

救命を止めた時間がお亡くなりになられた時間です

そこでじいちゃんはいなくなった

俺の世界はじいちゃんのいる世界からいない世界に変わった。

 

思えば俺が神輿を始めてからずっと

じいちゃんのために生きてきた気がする。

じいちゃんが作った神輿は今年も上がった。

大好きだった。

じいちゃんが体を壊した日からずっと

特に去年は全てを神輿に、つまりはじいちゃんに捧げた。

じいちゃんが入院した2010年正月

そこから俺は全てをかけて神輿を作った。

たくさんの人に応援され神輿は完成した。

じいちゃんに見てもらった。

あの時の笑顔は忘れない。

今年もちゃんと神輿は上がった。

じいちゃんは来れなかったけど

あの人はすげえなあ。

じいちゃんが作った神輿は本物だ。

今でもたくさんの人が毎年担いでくれる。

ちゃんと神輿が上がる。

じいちゃんがいたから

じいちゃんが神輿を作ったから

たくさんの人たちが

たくさんの物語を作れた。

俺の神輿もそうだ。

正直まだわけがわからない。

俺にはあの人が必要だった。

俺は全力を尽くしじいちゃんに向き合った。

それが俺の生きる意味だった。

たくさん優しさをくれたね。

色んなことを教えてくれたね。

いつも俺の顔を見て喜んでくれたね・・・

もう

いない

どうすればいいかわからない

きっとじいちゃんは俺の中でずっと生き続けるんだろう。

きっとじいちゃんは苦しみから解放され楽になったんだろう。

たくさんの人に送られ幸せなんだろう。

どこかで見守っていてくれるんだろう。

でもね、それでもやっぱり

生きていて欲しかった。

じいちゃんがいたから

俺は大きくなれた。

人に優しくできた。

強くなろうと思った。

ずっと見ていてくれたね。

いつも笑顔で迎えてくれたね。

恥ずかしかったけど

じいちゃんといる時間は幸せだったよ。

だけど一度もそうやって言えなかった

ありがとうともっと大きな声で言えばよかった。

何も出来なくてもいい。

ただそこにいて

声をかけてくれればよかったんだよ。

もう二度とあなたの声は聞けないんだね。

もう二度とあなたの優しい笑顔を見れないんだね。

辛かったのかな。

いつも病気が辛いって言っていたね。

苦しいって言っていたね。

ご飯を食べるのも出来なくなっていたね。

でも誰もいなくなるなんて思っていなかった

もう二度と会えなくなるなんて思っていなかった

さよなら

さよなら・・・

じいちゃん

俺はどうすればいいかな

じいちゃんの前で涙を流すのは

じいちゃんも嫌だよね

でも涙が止まらないんだ

さよならなんて

言えない

親父もじいちゃんもいなくなった

俺はそんなに強い人間じゃないんだ

みんな俺を残していかないでくれ

今回ばかりは参ったよ。

みんな 

励ましてくれてありがとう

親父もじいちゃんもいなくなった今

みんなは俺の希望だ。

ありがとう。

じいちゃんをずっと大切にしてくれたみんな

本当にありがとう。

元気・・・出さなきゃね。

前向かなきゃね。

でも

ごめん

今は

出来ない。

涙が  

止まらないんだ

男の子なのにね、じいちゃんごめん

父ちゃんの時みたいに

涙をこらえられないや

あなたが残してくれたたくさんのものを

守っていくよ

みんな助けてくれるってさ

みんなじいちゃんが好きなんだ

嬉しいね

俺もすごく嬉しいよ

また

お神輿やろうね

好きだったものね

ありがとう、本当にありがとう。

強くなるよ

 

僕はそれから,毎年必ずお神輿を上げ,一年に一度,自分がどのように神輿と向き合い,行動して来たかを報告して来ました。

どんな人が来て,どんな表情で,どんなに一生懸命に。
神輿が美しく動いた姿は,たくさんの人たちに伝わっていきます。

今年,約束は守ることが出来ませんでした

あまりに一方的で,残酷な中止決定。

各所に神輿渡御中止の連絡をするのがあまりに辛かったです。

毎年楽しみにしてくれているたくさんの仲間達に,中止の決定を連絡しなければいけない。

宮城,福島,茨城,東京,神奈川,和歌山,岡山,そしてベルリンと多くの場所から150人近い仲間達,先輩たちが集まって来てくれる予定でした。

遠方からもスケジュールを合わせ,この日を楽しみにしてくれていたのに。

つくばの留学生たちにとっては,人生で一度きりのチャンスかも知れなかった。

結局当日は天気予報は外れ,爽やかな秋晴れ。

近くの地域の人たちが集まり,鎌倉御霊神社の菊地宮司により神事のみ行われました。

担がれることのない神輿は,青空の下虚しく佇んでいました。

僕は1年間のたくさんの思い出が蘇り,全てがやり直しだと思うと力が抜けるようでした。

ずっと地元春日神社の神輿のことだけを考えてたくさんの祭へ行き,海外へも展開し,多くの仲間達がやっと集まってくれるようになったのに。

ずうっと地元の祭のことばかり考えていた僕は,この日からしばらく,苦しくてその事は考えたくなくなってしまいました。

もう二度と,祭が悲しい1日にならないために

こんなにも悲しい思いをしたのは,久しぶりです。

特に今年は祖母が抗がん剤治療をはじめていました。

僕よりずっと長く,祖父の生き様を見ていた祖母。

きっと一番悔しかったのは祖母かも知れません。

僕のことも温かく見守ってくれていた祖母が,僕に神輿中止の報告の電話をする時,どんな気持ちだったのでしょう。

一年に一度,本当に大切で楽しみな一日をこんなに悲しい日にする事はもう二度としたくない。

そのために僕はもっと深く強く考え,行動し,神輿に寄り添っていかなければいけません。

全てを神輿にかけていたのに,

一年に一度の約束も守れないような自分に本当に価値があるのかと,

雨で簡単に中止になってしまうような脆弱な行事に人生を捧げる意味があるのかと,

自分自身の生き方に疑問を感じてしまうほどのショックでしたが,今回迷惑をかけてしまった本当にたくさんの方々へ償いをするには,これから僕がさらに真剣に行動し必ず来年神輿を上げることが必要だと感じています。
一心不乱に,神輿にかけてみようと思います。

僕の思いが,神輿に通じるか。

じいさんにまた,最高の一日をプレゼント出来るか。

一年間、僕の全てをもう一度注ぎたいと思います。