「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

引き継ぐという事〜「津波なんかで,伝統を絶やすわけにはいかない」

2011年,東日本大震災がありました。

僕は南三陸町へ震災後お手伝いに行き,当時石巻市,雄勝町というところへ訪れました。

目の前にあったのは,瓦礫の山。

そして,ひっくり返ってしまった神社。

「放っておいたら撤去されてしまうこの神社の材料を使って,みこしを作れないかな 」

避難所で生活していた方に声をかけて頂きました。

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軽トラックの中で

 一緒に材料を取りに行ったのは,硯組合の高橋さん。

この雄勝町は,600年続く硯の生産地なのです。

しかしもちろん,硯の生産工場も流失してしまいました。

産業の再開も目処が立たず,まずは街の再建が最優先課題です。

「でも,祭やりてんだよなあ」

高橋さんは言います。

「今はそんな事言い出せない。会議の場でも,話題はもっと深刻なものばかり。

だけど本当は,こんな時だからこそ,みんなを元気にする祭がしたい」

僕は二人で,軽トラックを走らせながら話を聞いていました。

ボランティアという立場で,外の人が出来る事をずっと考えていました。

僕はこの時,もしかすると祭を行う事が僕たち外部の人間だからこそ出来る事なのかもしれない,そう思いました。

材料を拾って

神社があったのは,雄勝小学校の真上の丘です。

そして,瓦礫だらけの昇降口の軒下には,真っ二つに割れた神輿が置いてありました。

毎年この里でもお祭りがあって,祭の日にはこの神輿を出していたそうです。

もし自分のふるさとお神輿がこんな姿になっていたとしたら・・・

苦しくて,悲しい風景でした。

真っ逆さまになった神社の境内。

その中から,利用できそうな材料を探します。

しかし多くが波を被り,利用できそうなものはほとんどありませんでした。

なんとか拾い集め,荷台に乗せます。

津波なんかで

帰り道,高橋さんはこう言っていました。

「雄勝の硯は,600年続いてきたんだ。先人が命がけで繋いできたものを,津波なんかで,絶やすわけにはいかない。」

真っ直ぐに前を見て,力強くおっしゃっていました。

ぐちゃぐちゃになった街の中を支援された軽トラックに乗る,僕と高橋さん。

高橋さんにとって,硯を継承していくという事は,この街をもう一度復興させるという意味です。

僕はその時,継承するという意味と,その覚悟を目の当たりにしました。

どんな事があっても,続けていく。

そして,次世代に襷を渡す。

そのためには,自分が生きる時代に責任を持ち,自身がそのど真ん中で生き抜かなければなりません。

祭という伝統

僕は祖父から,そして先人から引き継いだふるさとの神輿と祭があります。

全国を見ても,担ぎ手が減ってしまったり,運営が難しくなってしまっている状態も多い。

しかし,それでも続けている祭には,覚悟があります。

止めようと思えば,すぐにでも無くなってしまうでしょう。

その里に覚悟があるから,乗り越える方法が見つかるのです。

我が国では文化芸術に対する大きな波が打ち寄せています。

そして現状は荒涼たるものです。

目の前で無くなってしまう祭もある。

しかし,今を生きる我々が,覚悟と責任をもって次世代に襷を渡さなければなりません。

瓦礫だらけの街に走る一台の軽トラックを運転する高橋さんの,未来を見据える眼差しを僕は忘れる事はありません。