この写真について,詳しく。
ここは,茨城県日立,会瀬港にある社。
社,というか神輿庫だ。
会瀬の細い街道を歩いていると,コンクリート造りの鳥居があることに気づく。
鳥居自体は傾いたりしていることはなく,何となく,遠くからでも建物が建っていることもわかる。
僕は何ともなく鳥居へと向かう。
そして何ともなく一礼し,参道の階段を上がろうとすると,少しづつその悲しさに気づく。
無造作に捨てられた枯れ枝,手入れの行き届かない階段。
それでも,何とか上がって行けるのだから,誰かが管理しているのだろう。
荒れてしまった神輿
参道の上の小屋。
荒れているが,屋根の造りは立派だ。古い瓦が乗っている。
割れてしまったり壊れてしまっている箇所が目立つ。
中を覗くと,写真のような神輿と,八坂神社のと書かれた剣型の板。
板は奥の方にもたくさんある。おそらくその数だけ,祭は行われてきたのだろう。
何かのきっかけで,この神輿は上がらなくなった。
神輿には細いが真柱が残っている。
しっかりと作られた神輿だから,壊れ歪みきっているその姿があまりに悲しい。
祭りを続けていくために
数百年続いて来た祭は日本にはたくさんある。
しかしその異常さを日本人は知らない。
さらに,それが音もなくすさまじい勢いで消えていってしまうことも知らない。
幼い頃,何となく触れていた明るい祭の風景は,もう当たり前のものではないのだ。
僕は,どんな祭にも,どんな神輿にも,こんな風になってしまう危うさがあると思う。
時代時代に命がけで守ろうと挑戦してきた熱い思いが,祭を守ってきた。
その思いは,ただ祭が好きだと言う感情とは違う。
しばしば自虐的に「祭バカ」と自身の事を言ってしまうが,本当はそうではいけない,と考えている。
誰より真剣に,誰より愚直に守る方法を,時代の答えを見つけなければ,間違いなく祭は消えてしまうだろう。
特に,僕の里,横浜春日神社のお神輿は,どんなお祭りよりも大事で大好きだが,弱く,脆い。
先人が,祖父が命がけで作り上げた神輿,祭という文化を,僕の代で無くしたくない。
それは,あまりに「かっこ悪い」からだ。
つなぐ,という意味を真剣に考え,綴っていこうと思います。